eぶらあぼ 2019.9月号
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170果となった。これはつまりシンガポール全体のダンスのレベルが底上げされているということだ。日本のダンスカンパニーは特徴ある振付家の元にダンサーが集まることが多いので、なかなか外部の振付作品を踊ることは少ない。しかし「T.H.E. ダンスカンパニー」芸術監督でもあるスウィブンは、自分よりはるかに若く、バリバリ踊り倒すタイプの振付家キム・ジェドクを韓国から専任振付家に迎えている。芸術監督のスウィブンは自分のメンツを考えると、世界中で引っ張りだこのジェドクを招き入れるのは非常に勇気が要ったことだろう。だがその道を選択したことでダンサー達の表現力、創作力が大きく磨かれた。 さてシンガポールへ行っている間には、京都の放火に吉本の騒動に選挙と、いろいろなことが立て続けに起こった。さらにこの原稿を書いているいま、「あいちトリエンナーレ」での「表現の不自由展・その後」の展示中止の続報が二転三転している真っ最中だ。この件は、本連載2月号で触れた、助成金を盾に政府に都合の悪いアーティストを締め付けようとするイスラエルの「愛国文化法案」を想起させる(本誌のデジタル版で過去の記事も読める)。 激変する世界では、選択の如何で将来の明暗はくっきりと分かれる。アーティストも自分の選択の重みをたえず問い直さねばならない。第59回 「京都・シンガポール・愛知。積み重ねと選択」 7月は灼熱のモンペリエから帰国した翌日に京都へ飛び、ギリシャから来日していたディミトリス・パパイオアヌー『THE GREAT TAMER』を観に行った。彼はオレが来日を切望していたアーティストの一人である。 世界を美しくえぐり出す残酷な手。過去の名画や宇宙飛行士、イジメにあって死んだ少年を何度も葬るかのようにかけられ続ける白い布、視覚トリックながら身体がバラバラに分断されていき、最後には全裸でブリッジになったダンサー達が何段にも重なり、露わになった股間の具材がひとつまたひとつと積み重なっていく(何を言っているかわからない人は、わからないままでよろしい)等々、「ダンスや演劇という既存のスタイルになる以前の、生々しく、荒々しく、そして圧倒的に美しいイメージの塊」が次々に繰り出されてくるのである。 こうした「イメージの提示のみで舞台を創る」というスタイルは、イタリアのロメオ・カステルッチやフランスのジゼル・ヴィエンヌなど、舞台芸術の中で、大きな流れになりつつある。しかもイタリアやギリシャなど、「コンテンポラリー・ダンスの後発組の国(特に南、地中海沿岸国)」がこうしたスタイルを展開しているのが面白いところだ。イメージだけで舞台が成り立つ時代に、ダンサーは何ができるのか。もう一度考えてみて欲しい。 7月はシンガポールの「M1 コンタクト・コンテンポラリー・ダンス・フェスティバル」にも行ってきた。これはヨーロッパで活躍した振付家・ダンサーのクイック・スウィブンが自ら立ち上げたフェスで、今回10周年を迎えた。各国のフェスティバル・ディレクター達が招聘作品を選ぶのだが、今回は正式プログラムのみならず、スウィブンのカンパニーの若いダンサー達のスタジオ公演からも多数選ばれるという異例の結Proleのりこしたかお/作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『ダンス・バイブル』など日本で最も多くコンテンポラリー・ダンスの本を出版している。うまい酒と良いダンスのため世界を巡る。http://www.nori54.com/乗越たかお
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