eぶらあぼ 2019.9月号
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159ネトレプコ――“絶対女王”たる所以 先日テレビで、アンナ・ネトレプコが主演するアレーナ・ディ・ヴェローナの《トロヴァトーレ》を観た。彼女はオペラ界きってのトップスターだが、中継での歌唱は、その評価を裏付ける素晴らしさだった。何が凄いのかというと、まったく隙がない点である。レオノーラは、ソプラノ歌手に高度なテクニックを要求し、特に2つのアリアは気が遠くなるほど難しい。ネトレプコは、アレーナの広大な空間を意識し、太い声で歌っていたが、普通は声量を上げると、高音を当てるのが難しくなるものである。ところが彼女は、2回のハイCを唖然とするほどの完璧さで歌っていた。約2万人の観客、そしておそらく数十万の視聴者が固唾を呑んで見守っている中でである。 ネトレプコが2002年のザルツブルク音楽祭(アーノンクール指揮の《ドン・ジョヴァンニ》)でブレイクした当時、実は筆者は、彼女をめぐる状況をやや冷ややかに眺めていた。美人でスタイルの良い、しかしまだ粗削りな歌手が、レコード業界のマーケティングに踊らされているように見えたからである。ところが数年すると、彼女は筆者の予想とはまったく反対のキャリアを築き始めた。ヴィジュアルを維持して市場に迎合する代わりに、子供を産んで体型(=声)を変え、役柄も広げていったのである。つまり、有名人としてちやほやされることではなく、女性、そして正統的なオペラ歌手として成長することを選んだのだった。 感服するのは、そこで彼女が、すべてのチャレンジを確実にマスターしてきたことである。上述の通り、レオノーラ、アンナ・ボレーナ、マクベス夫人といった役柄は、本当に歌うのが難しい。ドラマティックでコロラトゥーラがあり、高音から低音まですべてのProfile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。音が要求されるためである。しかし彼女は、「観客の誰もが彼女を目当てに来る」という期待とプレッシャーに、常に44100パーセント応えてきた。筆者はネトレプコが失敗した、という話を聞いたことがないし、実際の舞台ではいつも圧倒される。歌唱が素晴らしいだけでなく、徹底したプロ精神に打たれるからである。 歌手とは、非常に繊細な生き物だと思う。気分や体調によって声の調子が変わるし、今晩8時に本当にハイCが出るという保証はまったくない。プレッシャーがあれば、歌うのはさらに難しくなる。筆者はカラスが声を失ったのは、(部分的には)そうした「ハイプロファイルの重圧」に耐えきれなかったからではないかと思っている(ナタリー・デセイに至っては、『オペラを歌うのを止めたのは、それが理由』と率直に語っている)。対してネトレプコは、持ち前のポジティブ志向、そして自分のやりたいことを正確に見定める能力により、「綱渡りだがバランスの良い」歌手人生を送れているように見える。彼女は来年、ミュンヘンでもうひとつの難役、トゥーランドットに挑戦するが、きっと見事にクリアするに違いない。城所孝吉 No.38連載
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