eぶらあぼ 2019.8月号2
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19スペインを拠点に活躍する期待のメゾが満を持して望む「一番歌いたかった役」 目力が強い。ドン・ホセを射落としたカルメンのそれと重なって見える。加藤のぞみの、いま活躍するオペラの本場での訴求力や、意志の強さの表れに違いないが、漂う色香と相まって、自ずと《カルメン》への期待にもつながる。 スペインやイタリアでの活躍は聞いていた。私の耳には、2015年2月に東京二期会の《リゴレット》で歌ったマッダレーナの、深い響きとスタイリッシュな表現が焼きついていたが、それは彼女が本格的に経験を積む前の歌唱だ。いったいどこまで伸びるか、いま一番気になる日本人歌手の一人である。 「音大で声楽を学んだ母は、私をピアニストにしたかったようでした」 しかし、神奈川県立の進学校では円盤投げに熱中。インターハイに出場するほどの優秀な選手だった。一方、ある時期から、音楽の道へ。 「歌の勉強も始め、高3のとき全日本高等学校声楽コンクールに神奈川県代表として出場し、思いがけず優勝したんです。本気で東京藝大を目指したのはそれからですね」 13年、修士課程を修了した。「修了公演には、そのころから憧れの役だったカルメンを自分で選びました」 その秋には複数の奨学金を得てパルマに留学。そのままイタリアで学び続けると思っていたようだが…。 「スペインのテネリフェ島で若手歌手向けのアカデミーがあると、音楽院の先輩から教わって、締め切り前日に申し込みました。しかも、課題曲だった《ラ・チェネレントラ》のアンジェリーナのアリアが苦手で、意地悪な姉妹のティスベ役を歌ったのに、合格できたんです」 運命が加藤をカルメンの国に引き寄せたかのようだ。アカデミーを受講した際、芸術監督からバレンシア歌劇場の若手歌手育成プログラムの受験を勧められ、見事に合格。15年、スペインに移り住むことになったのである。2年間の研修期間は、「いまにくらべれば、マッダレーナを歌ったころは未熟でした」と振り返るほど充実していたようだ。スカラ座などで活躍している演出家のダヴィデ・リヴェルモーレが芸術監督で、すでに定評があった演技力にも磨きがかかった。 「研修生もオーディションに受かれば本公演にも出られ、私はブリテン《真夏の夜の夢》に出演しました。ただ、ほかの歌手がみな英語話者だったの取材・文:香原斗志 写真:小林秀銀Prole神奈川県出身。東京藝術大学卒業(安宅賞、松田トシ賞、アカンサス賞、同声会賞)、同大学院首席修了(アカンサス賞、武藤舞奨学金)。明治安田クオリティオブライフ文化財団助成により渡伊、その後バレンシア歌劇場にて研修。2015年《リゴレット》マッダレーナで二期会デビュー。これまで欧州各地の劇場で《蝶々夫人》《コジ・ファン・トゥッテ》《ノルマ》等に出演。バレンシア在住。二期会会員。で苦しく、初日を終えて、私を降ろそうという意見もあったようです」 しかし、最後にはそんな声を押しのけてしまうのが加藤である。研修終了後もバレンシアに留まった。 「ハイドン《月の世界》にリゼッタ役で、《蝶々夫人》にスズキ役で、モーツァルト《皇帝ティートの慈悲》にアンニオ役で出演しました。トリエステでは急な代役でベッリーニ《清教徒》のエンリケッタを歌いましたが、すべてを数日で準備したので大変でした」 9月1日、横浜みなとみらいホールで、演奏会形式での《清教徒》のエンリケッタ役に、その経験が活かされる。 続いて、いよいよ10月からは《カルメン》である。 「自由奔放に生きるカルメンという女性像に、以前から惹かれていたんです。やはりメゾソプラノにとってカルメンは特別な役で、私の声域にもぴったり。私は、学生時代は比較的重い役を歌っていましたが、ヨーロッパに来てからはモーツァルトなどリリックな役で声を作ってきました。でも、最近は少しずつ声が成熟して、いまカルメン役で日本に本格デビューできるのは、とてもうれしいです」 視覚的にも、声楽的にも、カルメンはまさに適役になったわけだ。具体的には、どんな役作りになるのだろうか。 「詳細は指揮者や演出家とお話ししてからですが、いま住んでいるバレンシアには、ロマ族の人が結構いて、彼らの雰囲気や仕草を観察したりしています。私は日ごろから、カフェとかに座って周囲の人の動きを観察しては、演技に活かしたりするんです。ホセに屈するくらいなら死を選ぶというカルメンの強さを、私なりに出せたらいいと思っています」 加藤の強い視線を浴びれば、ホセもエスカミーリョもイチコロだろう。だが、加藤自身は「エスカミーリョよりはホセが好み。見るからにカッコイイというタイプは苦手」とのこと。 表面に惑わされない嗜好も、カルメンの役作りに奥行きを与えてくれそうだ。

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