eぶらあぼ 2019.8月号2
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166である。年齢も体型もバラバラな5人の女性が踊るのだが、明らかにプロではない。冒頭で本物のクッキーを作りだし、焼きあがるまでがパフォーマンスの時間だ。「ダンスなんて主婦業の片手間で十分よ!」という感じなのか。最後に次々とオーブンが「チン!」と音を立てる。楽しくキュートな作品だが、終わってみて驚いた。なんと全員が服役中の囚人なのだという。・・・え? 刑務所の中でクリエイションを進め、上演の3日間だけ特別に外出許可が出ているのだ。すごいことすんね。しかも殺人など重罪犯もいるという。終演後に舞台裏から響く彼女たちの「私たちやったわね!」という明るい歓声が屈託のないものだっただけに、また檻の中に戻って行くのだと思うと複雑な感情になった。 以前、本連載でイタリアのマテーラという都市の刑務所内で行われた『ヒューマン・シェイム』という作品のことを書いた。あの作品の最後には、実際に収監されている囚人たちがテーマである「恥」について語る映像が流れたのだった(「オレは恥だなんて思ったことは一度もねえ!」というやつも含めて)。 ダンスが人間の本能に根ざしたものであるかぎり、全ての人間がダンスを必要としている。それは決して綺麗な服を着て劇場に行く人ばかりではない。様々な事情で塀の中にいる人にこそ、必要なものかもしれないのだ。第58回 「モンペリエにて舞台芸術を破壊する(物理的に)」 「旅先でなぜか銀歯が抜ける呪い」にかかってはや20年。今回も初日にポロリときながら、南仏のモンペリエでこれを書いている。日本の暑い夏を避けてきたはずなのだが、サハラ砂漠の熱風直撃で43度の異常気象だ。街中は日陰にいても熱風がすごく、とくに壁や道路からの遠赤外線の放射熱がハンパなくて、石造りの古都だけに、ちょっと高級な天然石サウナのようである。 今年39回を数えるモンペリエ・ダンスフェスティバル(Montpellier Danse)を訪れた。日本でも人気の現代サーカスのスター、カミーユ・ボワテルの世界初演があるのだ。『間(ma, aïda...)』というタイトルの通り(現地のパンフレットにもこのまま載っている)、ボワテルはこれまで結構な期間日本に滞在しており、日本文化への理解も深い。 会場は満員だった。男女のカップルが愛し合い、喧嘩し、その瞬間フラッシュが焚かれる。日本語の「間」とは、まさに「空間」の意味と、「間が悪い」などタイミングを指すが、ここでは見事に時間と空間を切り取っていた。しかし本領はここからだ。二人がいるテーブルや椅子、あらゆるものがバンバン壊れていく。上から何か落ちてくるし、舞台の裏ではマジでヤバそうなドーンという音が響いてきたりで、さすがのフランスの観客も笑ったり悲鳴をあげたりして楽しんでいた。本作は2018年に東京で試演を行っているが、あれとは全く内容が変わり、舞台上の全てが崩れ去って行く出世作『リメディア』の究極発展系といえそうだ。しかしこちらはソロではなく、デュオ。たとえ世界が滅びても、愛しあう二人は残るのである。本作は東京芸術劇場で上演が予定されており、来日が楽しみである。 もうひとつ特筆したいのが、ベテランのアンジェラン・プレルジョカージュの新作『ソウル・キッチン』Proleのりこしたかお/作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『ダンス・バイブル』など日本で最も多くコンテンポラリー・ダンスの本を出版している。うまい酒と良いダンスのため世界を巡る。http://www.nori54.com/乗越たかお

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