eぶらあぼ 2019.6月号
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185アーティストのメンタリティ 筆者は、仕事上アーティストと直接接する機会が多い。それは、日本人演奏家から世界のトップレベルまで多岐にわたるが、彼らと付き合うのは、正直言ってあまり得意ではない。邦人で同年代の人々ならともかく、すでに定着している一流演奏家との人間関係は、本当に難しいものだと思っている。 というのは、彼らの多くが、アンビバレントな性格を持っているからである。あくまで一般論だが、通常彼らは、オープンであると同時に韜晦(とうかい)している。オープンというのは、演奏家とは、何はともあれ公の存在だからである。人前に立って演奏するのが日常であって、“目立つこと”が嫌では基本的に務まらない。もちろん実力があって、自信があることも前提だが、ある程度出たがり屋的な部分がなければ仕事にならないのである。 しかしその一方で、演奏とは生モノであり、毎回すべてがうまく行くとは限らない。CDに慣れた我々は、「一流演奏家はミスなどしないもの」と思っているが、本人たちにとっては、完璧に弾くことを求められるのは絶大なプレッシャーである。逆に言うと、間違えてしまった時には、(とりわけそれがソロである場合には)非常に恥ずかしい思いをする。そしてその恥辱感は、我々の想像をはるかに超える。あるドイツ人の一流ヴァイオリニストは、「齢を取るごとに舞台に立つのが怖くなった。新曲は、地方で試してからでないとベルリンでは弾けない」と言っていた。彼は完璧なテクニックの持ち主で、傍から見ると「まさか」と思うが、それでもそうなのである。 つまり人前で演奏することは、裸になるのと同じで、弱点を隠せない。舞台の上では、誰も自分を守ってくれないのだ。その際、どんなに身を削る努力をしても、すべてがうまく行く保証は最終的にはProfile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。ない。それゆえ彼らは、必然的に「難しく」なる。公演前にナーバスになってしまう歌手が多いと聞くが、それは声が健康や精神状態に影響されやすい、極めて不安定な楽器だからだ。一方、自分では一音も出さない(=演奏の出来はオケに掛かっている)指揮者の場合でも、事情は同じである。あるラトヴィア人の大指揮者は、舞台に上る直前に必ず十字を切る。理由はおそらく、今日の演奏がうまくいくか、本当に頼りになるのは神様だけだから。演奏家とは、それほど孤独なのである。 彼らと付き合う上で難しいのは、次の点だと思う。アーティストは基本的に、自分がどんなに孤独かを人に分かってほしいと思っている。しかし、常に自らをさらけ出しているので、プライベートでは他人に入ってきてほしくない。有名人だというだけで取り巻く他人も多いので、なおさらだ。筆者はそうした気持ちが分かり過ぎるほど分かるので、かえってどう接するべきかが分からない。理解を示してあげるべきなのか、それとも放っておくべきなのか。マネージャーならば、おそらく一生悩む問いだろう。少なくとも筆者は、彼らの演奏を真剣に聴いていることを示すようにしている。それこそが、彼らが血の滲む思いをして舞台に立つ理由であり、意味なのだから。城所孝吉 No.35連載

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