eぶらあぼ 2019.5月号
27/199

24小林沙羅Sara Kobayashi/ソプラノ“美しき日本の歌い手”が歌い演じるグレーテル役の魅力取材・文:室田尚子 写真:藤本史昭 現在、小林沙羅が日本のソプラノの中でひときわ輝く存在であることに異論を唱える人はいないだろう。透明感のある歌声とバレエで鍛えられた身体性に裏打ちされた豊かな表現力は、国内外を問わず多くの聴き手を魅了している。この3月にはロンドンのウィグモア・ホールで、「和」をテーマにしたリサイタルを行って大成功を収めた。前半にリヒャルト・シュトラウスやフォーレなどの作品を、後半には日本の作曲家の作品を配したプログラムには、彼女の「日本人演奏家」としての姿勢があらわれている。 「ヨーロッパの伝統的な音楽であるクラシック音楽が日本に入ってきて、今ではそのレベルも高いものになってきています。そんな中で、日本で生まれたクラシック音楽の良さを海外に伝えることは、邦人演奏家としての使命のひとつだと考えています」 そんな小林が次に私たちの前で歌ってくれるのは、日本語訳詞によるオペラ《ヘンゼルとグレーテル》のグレーテルだ。NISSAY OPERAシリーズとして、6月に日生劇場で上演されるこの作品は、広崎うらん演出・振付で2013年に初演されたプロダクションの再々演となる。小林は初演時にもグレーテルを演じている。 「グレーテルは、実はとても縁の深い役なんです。09年に同じ日生劇場で行われた違う演出のプロダクションで、オーディションに合格してグレーテルを歌いました。憧れの日生劇場の舞台に初めて立てて、とても感激したのを覚えています」 《ヘンゼルとグレーテル》は、ワーグナーの助手を務めていたこともあるドイツの作曲家エンゲルベルト・フンパーディンクが、おなじみのグリム童話をもとに書いた作品。欧米ではクリスマスのシーズンに子ども向けに上演されることが多い。今回も学校公演が予定されており、多くの中高生たちがこの作品を鑑賞する。 「子ども向けのオペラとして知られていますが、音楽は分厚いオーケストレーションが施された本格的な響きを持っていて、きちんとした発声ときちんとした歌い方で音楽を届けようという意識を常に持って歌わなければいけません。歌い手にとっては決して易しくはない、全身全霊を傾けて伝えていかないといけない作品です」 子どもに親しみやすいお話である一方で、大人も十分楽しめる「深さ」もあると小林は語る。 「例えばこのお話では、“森”が重要な役割を果たしています。森の中で道に迷ってしまったヘンゼルとグレーテルの前に、眠りの精が現れて、ふたりは眠ってしまう。するとそこに14人の天使が現れます。この箇所はなくてもストーリーの上では繋がるのですが、オペラとしてはとても面白いシーン。人間でない妖精や天使たちが登場する森は、人間の力の及ばない自然の“大いなる力”を象徴する存在として描かれているのだと思います。子どもと一緒に劇場にやってきた大人の人たちが、そんな“大いなる力”を思い出すことができるところに、このオペラの深さがあるのではないでしょうか」 本プロダクションは田中信昭の日本語訳詞による上演。小林は、実はオペラのみならず歌曲でも、日本語で歌う機会の多い歌い手である。小さい頃から朗読をしたり詩を読んだりしてきた彼女は、「日本語が大好き」なのだそうだ。 「まだまだ外国語であることでオペラを敬遠している人がたくさんいる中で、日本語訳で歌うことの意味はあると考えています。その際、音楽のことをわかっている人が音楽の流れを壊さずに作った日本語訳であることが重要です。《ヘンゼルとグレーテル》は、その点でもぜひみなさんに聴いていただきたい素晴らしい訳詞になっていると思います」 日本語に訳された言葉を、作曲家が意図した音楽に乗せて歌うことを心がけているという小林。会場での響き方、オーケストラとの兼ね合いなど、様々な工夫をこらしながら歌う彼女の日本語はいつも美しく、そしてとてもよくわかる。「美しき日本の歌い手」小林沙羅が演じるグレーテルを、ぜひご家族で観に、聴きに行ってほしい。

元のページ  ../index.html#27

このブックを見る