eぶらあぼ 2019.2月号
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148カラスの声はなぜ衰えたのか マリア・カラスというと、そのドラマティックな歌唱もさることながら、短い全盛期の後、急激に声が衰えたことでも知られている。その理由は、コロラトゥーラからワーグナー、トゥーランドットに至る極端なレパートリーを歌ったこと、リスクを厭わない感情表現を行ったこと、オナシスとの恋で不摂生になったこと、などと言われている。しかし、本当のところはどうなのだろうか。これは、筆者の長年の疑問だった。 一般的な意見として、「カラスの声は完璧でなかった」ということが喧伝されるが、これは事実とは一致しない。たしかに彼女のマテリアルそのものは、一般的な「美しさ」の概念とはかけ離れているだろう。しかし、カラスの発声技術自体は、――少なくとも1950年代については――当時最高レベルのものだった。響きのポジションの高さ、フレキシブルな声帯、そして何よりも、声帯を効率的に響かせる呼吸(支え=体の使い方)のテクニックは、当時のどのソプラノ歌手にも見られないものである。プロの視点から見れば、「彼女のテクニックが悪かった」ということは、絶対にあり得ない。 最大の打撃は、60年春とされるオナシスとの子どもの死産にあると考えられる。一般に女性歌手は、出産するとホルモンバランスが変化し、声が変わる(高齢出産の場合は衰える)と言われている。その数ヵ月後に録音された《ノルマ》の全曲盤は、それまでとはまったく違う赤錆が入ったような声で、出産が悪影響を及ぼしたことはほぼ間違いない。しかし問題は、それ以前の58年から59年の録音にも、微妙な衰えが感じられることである。この時期の演奏にはばらつきがあり、58年9月下旬にロンドンで録音された『〈狂乱の場〉アリア集』と『ヴェルディ・アリア集』は、同じ週の歌唱であるにも関わらず、完成度に明らかな差がある。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。 それでは、一体何が問題だったのだろうか。筆者は10年ほど前、ミラノ・スカラ座付属の博物館で行われた、カラスの舞台衣裳展を観たことがある。これは、50年代の全盛期のコスチューム30点ほどを展示したもので、大きな話題を呼んだが、唖然とさせられたのは、カラスのウエストの細さだった。巨体だったカラスは、53年から54年にかけて激やせし、モデル並みの体形になったが、「モデル並み」という表現は、修辞句でも誇張でもない。両手で輪を作れば届いてしまいそうな、本当にか細い腰だったのである。それを目の当たりにした瞬間、筆者は彼女の声の衰えに納得がいった。こんな腰では、横隔膜で呼吸を支えられるわけがない。短時間なら可能かもしれないが、ノルマ等の長大でドラマティックな役を歌いきる持久力はないだろう。発声の理論では、支えが弱くなることは、声帯に負担が掛かることと直結している。つまりカラスの喉が衰えたのは、モデル体型を維持することが嵩じ、腹筋と体力がなくなったためだったと考えられる。 もっとも、カラスが巨体のままだったら、クラシックの枠を超えるレジェンドにはならなかっただろう。演技者としての魅力・華は、プリマドンナの本質でもあり、50年代に彼女が世界一ゴージャスな女だった理由でもある。その意味で、何が正しいのかは、一概に言うことができないように思う。城所孝吉 No.31連載
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