eぶらあぼ 2018.12月号
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52©Allegri ボローニャ歌劇場来日公演《リゴレット》2019.6/21(金)18:30、6/23(日)15:00 《セヴィリアの理髪師》2019.6/20(木)18:30、6/24(月)15:00Bunkamuraオーチャードホール 12/2(日)発売問 コンサート・ドアーズ03-3544-4577 http://www.concertdoors.com/※ランカトーレの出演は《リゴレット》のみ。その他の全国公演については上記ウェブサイトでご確認ください。デジレ・ランカトーレ(ソプラノ)ジルダは愛を知った大人の女性。ノルマと共通しているんです!取材・文:香原斗志Interview これぞ十八番だろう。デジレ・ランカトーレは2001年以来、ヴェルディ《リゴレット》のジルダ役をすでに100回以上歌ったという。来年6月、8年ぶりに来日するボローニャ歌劇場の来日公演でもこの役を披露してくれるが、じつは彼女、今春ジェノヴァで《ノルマ》のタイトルロールに挑んでいる。すでに成熟した女をドラマティックに歌ったのちに、ふたたび少女を歌うことに困難はないのだろうか。ヴェルディが望んだジルダ 「私が歌うジルダは以前よりもリリックで、ドラマティックで、ヴェルディが望んだ姿に近いジルダになっています。ジルダは鳥がさえずるように歌う役ではなく、ノルマを歌うことで得たものを注ぐべき役柄なのです」 いきなり刺激的な見解が飛び出したが、いったいどういう意味だろうか。 「ジルダは頭の弱い気の毒な“女の子”だと思われていますが、違います! 隔離はされてきても新しいことに開放的で、じつは〈慕わしい人の名は〉も官能的なアリアなのです。このアリアにある“il mio desir”(私の欲望)という語は、“passione”(情欲)という意味。ヴェルディがあえてこの言葉を選んだ以上、ジルダにはすでに異性への情欲があるのです。だから侵入してきた公爵を最初は拒んでも、2分後には受け入れる。彼女には準備ができていたからです」 印象論ではなく、テキストを徹底的に考察した結果なのだ。 「その後も、公爵から引き離したい父親がどう試みようとも、公爵を深く愛してしまっているジルダは、むしろ死を選ぶ。こんな決断は“女の子”にはできません。まさにノルマに近い女性です。ノルマも冷たい聖職者ではありません。激しく恋に落ち、嫉妬に狂う女で、歌うのはポッリオーネへの怒りばかり。最後は情欲に導かれて死所へと赴くところもジルダと共通しています」 ランカトーレらしい工夫の具体例を挙げてもらおう。 「〈慕わしい人の名は〉の最後によく歌われるカデンツァは、ヴェルディが書いたものではありません。楽譜上に三点E音はなく、最高音は三点Disです。よく歌われているのは鳥のさえずりのようで官能が表されないので、私はカデンツァに変更を加えました。音を軽くたたくように歌うのではなく、三点Dis音は残しながらレガートで歌うようにしたのです。そのほうがヴェルディのオリジナルに近く、美しく、ロマンティックです」スコアの背景を読み取り真実に迫る 知性を駆使して、スコアの背景を読み取ることの必要性を、ランカトーレは繰り返し説く。語ってもらったジルダ像も彼女の主観ではなく、人物像を客観的に掘り下げるとこうなる、というわけだ。すると、引き合いに出されたノルマ像はどうなるのか。 「私の声も熟してきましたが、ノルマへの挑戦はだれからも反対されました。でも楽譜をていねいに検証すると、ノルマを歌うのにマリア・カラスのようなドラマティックな声は要らない。物語が劇的な分、劇的なアクセントは必要ですが、重い声は要らず、アジリタの歌えるソプラノ・リリコであれば十分歌いこなせることがわかったのです」 かのマリエッラ・デヴィーアに付きっきりのレッスンを受けるという幸運も加わり、結果は聴衆の喝采を奪っての大勝利。そこで得た表現の深化が、じつは“ノルマとそっくりなジルダ”に注がれる。これは楽しみだ!
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