eぶらあぼ 2018.12月号
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181「粉屋の娘」は「美しき水車小屋の娘」 1958年、現在の天皇陛下と皇后陛下の婚約が発表された際、海外の新聞が「皇太子が粉屋の娘を嫁に取ることになった」と報道した、という話はよく知られている。美智子様は、日清製粉社長(当時)、正田英三郎の長女なので、まさに「製粉会社の娘」なわけだが、日本国民はこれを、「外国のメディアにあざ笑われた」と理解した。ご成婚は、戦後を克服し始めた時代において、明るいニュースだったため、人々が傷つき、憤慨したのも無理はない。実際、ミッチーブーム世代の筆者の母なども、今でも「そんな風に言われたのよ!」と、語気を強くする。戦争の傷がようやく癒え、世の中が良くなってゆく、と思われた時期だけに、その希望をぶち壊しにされたと感じたのだろう。 しかし、この「粉屋の娘」は、実は当時のジャーナリズムの貧しい英語力から生まれた誤訳である。miller’s daughterは、語義は「粉ひき職人の娘」だが、英語、ドイツ語、フランス語でのニュアンスは、むしろ「水車小屋の娘」だ。産業革命以前には、粉ひきは水車を利用して行われ、millerは「水車小屋(mill)の親父」くらいの意味。そしてその娘は、文学的コンテクストでは、「水車の傍らに佇まい、せせらぎと戯れる若く美しい女性」の典型とされた。つまり、「美しき水車小屋の娘」である。シューベルトでは、粉ひき職人に弟子入りした若者が、親方の娘に恋し、捨てられて入水自殺するが、それは「水車小屋の娘」の一例にすぎない。トポス自体は数百年前から存在し、グリム童話にも、シンデレラ・ストーリーの展開形Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。として、数多く登場する。むしろシューベルトの方が、既存のイメージに依拠しているだろう。 よって100パーセント、ポジティブなニュアンスであり、海外のメディアが皇后陛下を「粉屋の娘」と呼んだのも、バカにするなどということでは全然ない。むしろ、「日本のプリンスが、(正真正銘の)美しき水車小屋の娘と結婚することになった。メルヘンのような素敵な話ではないか」という含意だったはずである。書いた記者も、自分でも洒落た見出しだと思ったに違いない。もっとも母にそう説明しても、「本当にそうなの?」とすぐには納得してもらえず、半信半疑であったが…。 ちなみに、現在ヨーロッパ人が「水車小屋の娘」で想像するのは、シューベルトではなく、「鱒の水車小屋の娘風」だろう。これは、魚(鱒、鮭あるいは白身魚)を小麦粉ではたいてバターソテーにするという料理。つまりムニエルだが、このmeunièreというのが、紛れもなく「水車小屋の娘」なのである(粉ひき職人=meunierを女性形にしたもの)。鱒が飛び跳ねる川岸で遊ぶ若い娘が、実家の小麦粉で作った料理、というイメージで、野趣と可憐さが持ち味となっている。城所孝吉 No.29連載

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