201706
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28澤 和樹(ヴァイオリニスト/東京芸術大学学長)“魂のヴァイオリニスト”若林暢のぶの芸術をめぐって“往年の巨匠”をほうふつとさせる音楽 澤 和樹(以下、澤) 若林暢さんについては、忘れられない想い出があります。以前、山陽小野田市の音楽愛好会からお招きを受けて演奏会を行ったときの話です。山陽新幹線の厚狭(あさ)という駅で降りて、会場である山陽小野田市文化会館に向かう前、迎えに来て下さった協会の方と食事をご一緒する場所に行く途中の車に装備されたプレーヤーでブラームスのヴァイオリン・ソナタのCDがかかっていました。そのとき耳に入ってくる音楽がただものではなかった。どう考えても、往年の巨匠の音楽なんですね。耳を澄ませて聴いてみると、アイザック・スターンじゃない、ヘンリク・シェリングとも違う。お店に着いたとき、運転して下さった方にお訊ねしたら、若林暢さんの演奏だということがわかりました。本当に驚きました。日本人で、しかも学生時代によく知っていた後輩の若林さんが、こんなに素晴らしいヴァイオリニストだったのかと。 武藤敏樹(以下、武藤) 私は友人から暢さんのブラームスのCDを手渡されて初めて聴いた時に、その極めて濃密で瑞々しい音楽に驚愕した覚えがあります。その濃密な音楽がきちんと抑制された様式美の中にぎゅっと閉じ込められているんですね。 澤 音に気持ちが乗っているんですね。一音一音が何かを語っている。日本人に限ったわけではないのですが、最近のヴァイオリニストはテクニックがあるし、曲を美しく聴かせる人は沢山いるんですが、気迫とか感動を伝えてくれる方は少ない。曲と作曲者に対する熱い想いが伝わってこないんです。ブラームスのこの曲の本質は外面的な“饒舌さ”ではないわけで、聴く人の心の奥に語りかけるような、身近に想いが味わえるような演奏が欲しいのですね。若林暢さんのヴァイオリンには、そんな想いがいっぱい詰まっていました。しかも、その想いを聴き手に伝えるに 若林暢の音楽は“魂の芸術”であった。ヴァイオリンという楽器と彼女の肉体を媒体とする魂の声であった。「希有の才能」と専門家から高い評価を受けながら、何故か広く世に知られることなく、彼女は昨年6月、58歳の若さで急逝する。その死を悼み、彼女の芸術活動を後世に伝えるために「一般財団法人若林暢音楽財団」が設立され、ライヴ音源を基にしてのCDを世に問うという試みがいま進められている。それとともに若林暢と生前に共演したピアニストのアルバート・ロトらによる多くのコンサートも開催される。ヴァイオリニストでもある東京芸術大学学長·澤和樹と音楽プロデューサー武藤敏樹が若林暢の芸術をめぐって語り合った。ふさわしいテクニックが、彼女には具わっていたのです。 武藤 このCDは1993年、イギリスのピックウィックというレーベルで発売されたものですが、残念ながら、この会社は潰れてしまって存在しません。しかし、若林暢音楽財団の橋本麻智子さんが、大変なご苦労をされてそのマスターテープの版権所有者と交渉の末、今回正式に譲渡を受けることに成功しました。この録音には、暢さんの素晴らしい芸術が全て刻み込まれていますし、録音クオリティも非常に優れたものだと思います。暢さんのスタジオ録音は、この他には欧米で非常に高い評価を受けたアイヴズの「ヴァイオリン・ソナタ集」があるだけで、残念ながら2枚しか遺されていません。これだけ素晴らしいアーティストですから、レコード会社からはレコーディングの要請がたくさんあったと思うのですが、彼女は生前、それを受けなかったようです。何故、録音を遺さなかったのか? 澤 自身の演奏の理想が高かったのかもしれませんね。自分はまだ未熟だ、将来もっと良い演奏ができる筈だという。その気持ちはわかります。私の恩師のジョルジュ・パウク先生もそうでしたから。 武藤 実はこれから発売される音源は、ブラームスとアイヴズを除くと、すべてライヴ録音のものです。亡くなってしまった彼女からのリリース・アプルーヴァル(承認)は受けておりません。それがゆえに選曲と監修を行う私たちには重大な責任があると思います。天国の暢さんから叱られないようにしないといけない。ライヴ録音ですから、細かい綻びは当然あります。しかし、そんな綻びを感じさせない圧倒的な魅力が、彼女の演奏にはあるのです。 澤 暢さんの研ぎ澄まされた感性の産物ですからね。本番でしか味わえない精神の昂揚と、客席との心の交流ともいえる、魂の温もりが音楽に出ています。 武藤 ライヴ収録のCDの第1号は 「ヴァイオリン愛奏武藤敏樹 (音楽プロデューサー)対談×若林暢
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