201706
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20シルヴァン・カンブルランSylvain Cambreling/指揮取材・文:柴田克彦 写真:藤本史昭 名匠カンブルランが、読響の常任指揮者として8年目のシーズンを迎えた。これまで数々の成果をあげてきたが、今年11月、読響創立55周年を記念して、究極の挑戦ともいえる公演=没後25年を迎えたメシアンの歌劇《アッシジの聖フランチェスコ》の全曲日本初演(演奏会形式)を行う。これは、変則7管編成の木管楽器、40近い打楽器、3台のオンド・マルトノ、9人の独唱者、10パートの合唱など、驚異の大編成による、演奏だけで4時間以上の超大作。まさに歴史的プロジェクトだ。 本公演は、読響との7年間のコラボの賜物でもある。 「我々の関係は有機的に発展し、演奏レベルは常に向上しています。私は読響を変えるのではなく、自分のフランス人・欧州人としての感情を分かち合いたいと考えてきました。そして実際に変わったのは、読響のレパートリーや知識の幅が広がったこと。それを皆様に実感してもらえるのが、まさしく今回のメシアン作品だと思います」 彼はメシアン本人を知るうえに、上演機会の稀な本作をパリやマドリッドなど4つのプロダクションで計24回(世界最多)指揮し、隅々まで熟知している。 「通常とは違った唯一無二のオペラです。もちろん主人公がいて物語があり、歌詞と歌がありますが、オペラとオラトリオの中間のような音楽といえるでしょう。通常のオペラと最も違うのは大編成のオーケストラ。3台のオンド・マルトノを用いたオペラなど他にありません。また宗教的な面が濃い物語ながら、もう一つの要素として生態学的な面があり、メシアンの自然に対する考えがよく表れています。そしてドラマ中の人々の感情や行動は全て音楽のなかに込められています。全てが描写され、目を閉じればそのイメージが湧くような音楽─そこが本作の大きな特徴です」 物語はむろん、小鳥に説教したというアッシジの聖フランチェスコを題材にしている。 「物語の最も大切なところは、冒頭では人生に疑問をもち、これからの道のりについて怯えていた聖フランチェスコが、恐怖心から解放され、人生の喜びを感じて終わる点にあります。これは人間誰もが与えられた、挑戦すべき道のりです。またもう一つの視点として、皮膚病の患者に触ることを恐れているフランチェスコが、勇気を振り絞って触ると、奇跡が起こって病気が治る場面が挙げられます。勇気によって奇跡が起こる─ここも物語の核心です。さらにもう一つ大切なのが天使。天使が奏でる音楽によって、フランチェスコが生まれ変わることができます。こうしたスピリットも、音楽そのものに上手く表現されています」 キリスト教の国でない日本の聴衆にとって「バリアになるようなものは全くない」と言い切る。 「フランチェスコは『太陽、水、大地の全てが私の兄弟姉妹である』と言います。これは別にキリスト教に限ったことではありません。またメシアンならではの鳥の声が60種類以上出てきます。この声も、喜び、平和、自然との調和、人間同士の友愛、万物に対する愛情といった大切なものを示す重要なメッセージになっています。さらに付け加えると、メシアンはキリストの意志を表現する際に必ず合唱を使っています。つまり1人の歌手が代弁者になるのではなく、あえて合唱で普遍的に表現しようとしているのです」 演奏会形式は「バッハの『マタイ受難曲』を演奏する時と同じ気持ちで、“音楽”に取り組める」し、歌手陣も「2011年マドリッドで指揮した際に聖フランチェスコを歌ったヴァンサン・ル・テクシエ、天使にふさわしい透明な声をもつエメーケ・バラート」など万全の態勢だ。 読響とのメシアン演奏の集大成的な位置にある。 「以前に『トゥーランガリラ交響曲』、今年1月に最後の作品『彼方の閃光』、4月に最初期の『忘れられた捧げもの』を取り上げていますから、各時期のメシアンの作風を踏まえたうえで、『アッシジ〜』を演奏することになります。特に『彼方の閃光』は『アッシジ〜』と同じ語法で書かれており、この経験が精神性や技法への対応力を読響にもたらしてくれます。ですから今回は、素晴らしい演奏になるとの確信を持っています」 一生に一度巡り会えるかどうかの貴重な公演。是が非でも体験したい。
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