eぶらあぼ 2017.4月号
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気分は明日必ず話したくなる?クラシック小噺capriccioカプリッチョ192オークションで自筆譜を競り落とす(その2) 前回、残っている文書の総量が値段に影響を及ぼす、と書いたが、これは量が多ければ多いほど、個々の値段は安くなる、という意味である。例えばR.シュトラウスは大量の手紙を書いたが、その大部分は今日まで失われずに残されている。そのため市場に出回る確率が高く、大抵のものは数百ユーロで買うことができる。もちろん、ホフマンスタールとの往復書簡のように、研究上特に重要なものはこの限りではなく、値段は価値に従って高騰する。 一方、我々にも手が伸びそうなのは、演奏家の文書だろう。例えば、マリア・カラス。この3月にベルリンで行われたオークションでは、彼女のサイン入りの写真(スカラ座の伝説的《アルチェステ》!)が評価額300ユーロで出品された。もっともこの額で落札されたとは、ちょっと考えにくい。カラスのサインが欲しい人は山ほどいるので、実際には数倍の値段が付いたに違いない(大体、彼女のものは誰も手放さないため、あまり出回らない)。また、筆者が興味をそそられたのは、カール・ベームの指揮用スコアである。モーツァルトの交響曲第1番と第25番で、「1968年、78年にドイツ・グラモフォンに録音」と自筆で書き込まれている。こちらも300ユーロだが、2冊セットなのでお買い得(?)といったところか。 筆者自身が参加した競売で印象的だったのは、シューベルトの「私の夢」という文書である。これは研究者の間では有名な散文詩で、「苦しみを歌うと愛になり、愛を歌うと苦しみになる」という作曲家の本質を、他ならぬ彼自身が書き記したものである(父との確執や周囲からの阻害を、象徴的な“夢”として語っている)。出品されたのはオリジナルではなく、兄フェルディナンドが書き写したコピーで、シューベルProfile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。トの親友ショーバーに与えたものだと考えられる。オリジナルは後にシューマンの手に渡り、1839年2月の『新音楽報』で発表されたが、兄によるコピーの価値も決して低くない。 この時の評価額は、(その歴史的重要度に比して)1,600ユーロという信じられない安価であった。古文書業者は正真正銘のプロなので、評価そのものは正確だが、もちろん全員が音楽学者の知識を持っているわけではない。兄の手であることも、設定が低い要因となっただろう。筆者はこれはしめたと思い、倍の額を書いて封書で申し込み、「競り落とした暁には喜多尾道冬先生(ドイツ文学者。筆者の心の師)に自慢してやろう」とほくそ笑んだ。ところが…。実際の落札額は、評価額の5倍の8,000ユーロであった。つまり、同じことを考えた研究者、文芸員、シューベルト好きの収集家が数多くいて、値段が跳ね上がったのである。とほほ、甘かった…。 これに限らず、古文書業者は評価額を低めに設定する傾向がある。値段は参加者が多ければ多いほど上がるので、「これくらいなら手が出る」と思わせる値段を書いて、「誘惑」するのである。というわけでオークションでは、やはり経験が重要。適正な値段で競り落とせるようになるには、時間がかかるようである(この項終わり)。城所孝吉 No.9連載

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