eぶらあぼ 2017.2月号
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25本当の蝶々さんを日本で表現したい取材・文:寺倉正太郎 ピーター・ブルック演出の『マハーバーラタ』など歴史的な名舞台に俳優として関わり、近年はオペラの演出でもヨーロッパで高い評価を得ている笈田ヨシ(旧芸名・笈田勝弘)の日本で最初のオペラ演出が《蝶々夫人》で実現する。2016年春にヨーテボリの劇場で同作品を取り上げたばかりだが、日本ではどういう舞台となるのだろうか。 「ヨーテボリでは、“フジヤマ・ゲイシャ”の世界ではない、本当の《蝶々夫人》をやりたいということで、ぼくに依頼がありました。それで外国人による外国人が見る《蝶々夫人》として作りました。今回は日本人による日本人が見る《蝶々夫人》ですから、まったく違ったものにしたいと思っています。舞台美術も衣裳もすべて変えます。時代設定も昭和初期にしています。日本ではコンサートホールでの上演ということもあり、装置はシンプルなものになるでしょう。美術的なことは各担当者にまかせて、ぼくは演出家として内面的なことを受け持ちます。いろいろなジャンルの才能のある芸術家が集まって能力を持ち寄ることで素晴らしい化学反応が起こるのをめざします。演出家ひとりのコンセプトだけでよい作品が作れるわけではありません。最終的にはよいスタッフと演奏家たちが、持てる能力を最高に発揮することでよい舞台ができあがるのです」 演劇の演出とオペラの演出の違いはどこにあるのだろうか。 「演劇と違い、オペラを上演するうえでは指揮者が絶対的な存在です。音楽こそが第一に重要ですから、ぼくは指揮者の方向に従って、音楽的にマイナスになるような要素は舞台に持ち込みたくありません。指揮者が音楽的に最高のものを作れるようにするのが、オペラにおける演出の役割だと思っています。音楽に従いながら演出家がどんなビジュアル面と内面的なコンセプトをつくるかということになります。《蝶々夫人》は、特に2幕と3幕は演劇としてもよくできているし、本当の人間性が音楽によってすばらしく表現されています。プッチーニはすごい作曲家だとあらためて思いました」 笈田はフレデリック・ミッテラン監督の映画版『蝶々夫人』(1995年、指揮ジェームズ・コンロン)に蝶々さんの父親として回想シーンに出演している。 「蝶々さんと父親の関係は重要ですが、オペラのお客様には理解されにくいので、ミッテランの映画はいいアイディアだと思いました。ですから、今回の演出でも蝶々さんのお父さんを黙役(川合ロン)で出します。なぜなら、オペラは言葉が100パーセントはわかっていただけない面がどうしてもあるからです。字幕があるといっても、やはりオペラは舞台を目で見て耳で聴いてということになります。見ただけでもなるべくわかるようにしたいのです。ぼくはピーター・ブルックのところにいて、いろいろな国へいってフランス語や英語で芝居をしましたが、役者はできるだけジェスチャーをつけて、言葉がわからなくても何をやっているのか理解できるようにしました。オペラ歌手の皆さんにも言葉と歌だけではなく演技でも人間の生活感を出していただき、見ただけでもある程度理解できるようにしてもらいます。父親を出すことで蝶々さんの考え方がわかるようにします」 ヨーテボリの演出ではエンディングの扱いが話題となった。 「蝶々さんが最後に自殺するのかしないのかわからないようにします。自殺するというのはひとつの解決方法として、“ハッピーエンド”でもある。解決してしまうとそれで収まりはつきますが、それはひとつのメッセージを発することにもなる。ぼくはお客様に何かひとつのシチュエーションを示して、あとはお客様自身に考えていただくという風にしたいと考えています。現代は芸術を知的に創造することが多くなり、オペラの演出もいろいろなアイディアを競うようなところがありますね。しかしぼくは20世紀の人間なので(笑)、知的遊戯ではなく心に響くものを作りたいのです」 先入観にとらわれずに作品の本質をつかみだそうとする笈田の演出する《蝶々夫人》に期待は大きい。Prole兵庫県出身。大阪で狂言を学ぶ。慶應義塾大学卒業後、文学座に入団、並行して義太夫を学ぶ。劇団四季を経て、1968年にロンドンでピーター・ブルック演出『テンペスト』に出演。活動の拠点をヨーロッパに移す。75年にはヨシ・アンド・カンパニーを設立し、以降、日本を代表する演劇人として世界各国で活動を展開。舞台出演作品に、ブルック演出『マハーバーラタ』『テンペスト』など。また、マーティン・スコセッシ監督『沈黙』(1/21公開)など多数の映画に出演する一方、演劇、オペラ作品の演出も数多く手がけている。フランス芸術文化勲章シュヴァリエ(1992)、同オフィシエ(2007)、同コマンドゥール(13)の3勲章を受賞。
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