eぶらあぼ 2017.1月号
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29《魔笛》ではすべての人物が“愛”と“死”を語るのです取材・文:室田尚子 写真:武藤 章 毎回、国内外の第一級のキャスト・スタッフによるプロダクションが話題の神奈川県民ホール・オペラシリーズ。2017年は、ダンサー・振付家として世界的に活躍する勅使川原三郎が演出・装置・照明・衣裳を手がけるモーツァルトの《魔笛》を3月に2日間にわたって上演する(3/11には大分でも上演)。 日本を代表する歌手たちがダブル・キャストで登場する中、両日ともにパパゲーノを歌うのが、オペラ界きっての“芸達者”宮本益光だ。 「僕はずっと“モーツァルト歌い”になりたいと思ってきました。バリトンとしてはドン・ジョヴァンニとパパゲーノが歌えてこそ真の“モーツァルト歌い”と言えると思うんですが、この両極端な二つの役を見事に演じきっているのは、世界中見回してもサイモン・キーンリーサイドと黒田博さんぐらいしかいない。僕も何度となく演じてきていますが、今回、こうした大きなプロダクションでパパゲーノを演じるチャンスが与えられたことは、とても嬉しいです」 《魔笛》の登場人物の中でも、パパゲーノは抜群にチャーミングだ。美味しいものを食べて、美味しいワインを飲んで、かわいい女の子をお嫁さんにできれば他に何もいらない、という彼の人間くささは、主人公タミーノのシリアスなキャラクターと好対照である。 「そんなこと言えるものなら言ってみたいですよね。でも、みんなたくさんの欲があるからなかなか言えない。それを言ってしまえるパパゲーノに、人として憧れる部分があります」 しかし、と宮本は続ける。パパゲーノはただ楽しい、コミカルな役柄として存在しているだけではない、と。 「1幕でモノスタトスと奴隷たちにパパゲーノとパミーナが捕まる場面があります。パパゲーノが魔法の鈴を鳴らすとみんなが幸せな気持ちになり去っていく。そこで二人は“こういう鈴があってみんなが音楽に心を寄せたらすべての争いがなくなるんだ”と歌う。音楽家にとってこんなにパワーをもらえる言葉はない。僕はこの二重唱を歌う時、胸が熱くなるんです」 《魔笛》において、魔法は音楽によって表される。それは、音楽の力を肯定しているのだと宮本は考えている。 「だから最後にパパゲーノとパパゲーナが歌う有名な〈パ、パ、パの二重唱〉には、もう言葉なんかいらないという意味があると思う。世界中の人が言葉の壁を超えて音楽でつながる、それはまさにベートーヴェンの『第九』の理念と重なるわけですが、そういう理想を体現しているのがパパゲーノという人なんです。だから僕は、このオペラを観終わった後で、恋人たちが手をつないで帰ったり、お父さんが子供に今度の休みにはどこかに遊びに行こうと言ったり、そういう気持ちになってくれたらいいなと思っています」 《魔笛》を語る際にいつも言われるのが、前半と後半で善悪が入れ替わってしまうということ。実際、モーツァルトがこの作品で本当は何を言いたかったのか、よくわからないという人も多いかもしれない。そこを問うと、宮本は一言で「これは愛のオペラ」と言い切った。 「《魔笛》の登場人物で“愛”を語らない人はいません。と同時に、“死”を口にしない人もいない。パミーナは愛されていないとわかった時に死のうとする。モノスタトスは自分を愛してくれないなら殺してやると言う。パパゲーノでさえ、パパゲーナがいないなら自殺すると言うんです。人は死を受け入れることで愛に満ちた世界を生きていける。《魔笛》はそのことを堂々と宣言しているオペラだと思います」 モーツァルトのオペラの中でも、いや古今のオペラの中でも1、2を争う人気を誇る《魔笛》。宮本は、「母国語でオペラを書きたいという願いを持ち続けたモーツァルトが到達した完成形」だと語る。それまでの作品では考えられないほど短調が多用され、それゆえに音楽がかつてないほど雄弁に物語るのも作品の完成度を示している。ドラマティックで美しく、ワクワクするほど刺激的。《魔笛》という物語の中で「パパゲーノとして生きる」宮本益光に会えるのが今から楽しみだ。Prole東京芸術大学卒業、同大学院博士課程修了。《ドン・ジョヴァンニ》題名役で衝撃的な二期会デビューを飾り、近年では新国立劇場《鹿鳴館》清原永之輔、《夜叉が池》学円、東京二期会《こうもり》ファルケ、《チャールダーシュの女王》フェリ・バーチ、日生劇場開場50周年記念《メデア》イヤソン、《リア》オルバニー侯爵、神奈川県民ホール開館40周年記念《金閣寺》溝口等、常に大舞台で活躍。コンサートでも「第九」や宗教曲で読響、東響、日本フィル、神奈川フィル等と共演を重ねている。聖徳大学音楽学部准教授。二期会会員。
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