eぶらあぼ 2016.12月号
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178緯があり、その意味で正統な継承者といえる)。 なかでも11月に行った牧宗孝の自主公演『東京ゲゲゲイ歌劇団』は圧巻だった。牧はストリートダンス・カンパニーが大集合して大きなストーリーのある作品を作る『*ASTERISK(アスタリスク)』というプロデュース公演の総合演出をしている。今年のパンフレットには「前回ダンスに台詞はいらないとか言われたけど、私は自分のやりたい表現をやる。それが嫌なら宮本亜門に頼め」「前回の出演者に許せない奴がいる。恨んでいる。この作品はそいつへの復讐劇」(いずれも大意)といったことをバンバン書いているのである。 LGBTは、表だっては差別など気にしていない風で、明るく振る舞う人が多い。社会的なマイノリティであるが故に「悲劇の押し売り」と取られることが、さらなる差別を生むことを知っているからだろう。しかし牧は「私は傷つけられて痛かったし、オマエのことは絶対忘れねえ」という怒りを隠そうともしないのだ。 もともとアメリカの黒人達から生まれたストリートダンスの基本は怒りだ。ギャングの殺し合いが激化したときにカリスマのDJが「殺し合いじゃなくてダンスで戦え」と呼びかけたことがストリートダンスの歴史に刻まれている。一対一で戦う「バトル」のプライオリティが高いのもそのためだ。が、豊かな国の日本人が怒りの表現をしても、馴染まないことも多かった。しかし「怒るべきこと」は、まだまだある。それがダンスに生命を与える様を、まじまじと見せつける公演だった。第26回 「セクシャリティとダンス。怒るか、怒らぬか。」 タイトルまわりのデザインがちょいと変わった。なんといっても情報満載の本誌において、上の端をちょっとめくればこのページが見つけやすいので、お役立てください。 この原稿はソウルで書いている。約1ヶ月半の間に、ソウル×3回・秋田・モントリオール・テルアビブへと取材や審査員やシンポジウムのトークなどをする。毎週違う国にいる有様で、ちょっと過熱気味のスケジュールである。 さてゲイの話だ。一般的に日本は宗教的なタブーもなく、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)には寛容だといわれている。江戸時代から男性用男性風俗の陰間茶屋があったり、井原西鶴からして『男色大鑑』という大著を著しているほど。 日本でもカミングアウトしている人はいるが、ダンス作品に投影することはあまりない。近年では川口隆夫の傑作『TOUCH OF THE OTHER』くらいだろうか。1960年代のアメリカで、公衆トイレで繰り広げられる男性間性行為の研究を行った社会学者ロード・ハンフリースの成果に基づき、川口自身の行為も赤裸々に展開された。 日本の場合、性的なものを扱うこと自体がそんなにない。初期の舞踏には性的・同性愛的な要素が豊富に含まれていたが、それは裸体がタブーとして機能していた時代だからこそ、暴く意味があったとも言える。が、今の時代、裸になったからってそれがなんなの? と冷えた目で見られるのが落ちだ。 しかしストリートダンスで演劇的な作品を作る振付家には、LGBTであることを強く押し出している人が少なくない。牧宗孝(東京ゲゲゲイ)や、avecoo、SEISHIROなど。AyaBambiも女性カップルであることを公言している(彼女たちのベースであるヴォーギングは80年代のゲイカルチャーの中で飛躍的に発達した経Prifileのりこしたかお/作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『ダンス・バイブル』など日本で最も多くコンテンポラリー・ダンスの本を出版している。うまい酒と良いダンスのため世界を巡る。http://www.nori54.com乗越たかお
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