eぶらあぼ 2016.11月号
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31自分の直感を信じて音楽を組み立てています取材・文:石戸谷結子 いまの指揮者界をざっと見渡してみると、アバド、マゼール、アーノンクールが相次いで鬼籍に入り、いわゆる“巨匠”と呼ばれる指揮者は数えるほどしかいない。その中にあって、マリス・ヤンソンスの存在は、ひときわ抜きん出ている。1943年生まれ、73歳になった彼は、まさにクラシック音楽界の最高峰に到達しようとしている。そのヤンソンスがこの11月、首席指揮者をつとめるバイエルン放送交響楽団を率いて来日を果たす。 今春、ルツェルン・イースター音楽祭に登場したヤンソンス&バイエルン放送響のコンサートを聴いた翌日、滞在先のホテルでインタビューすることができた。 今秋の来日では、マーラーの交響曲第9番やストラヴィンスキーの「火の鳥」などドラマティックな内容を含んだ大曲が並ぶ。 「日本でのプログラムは、ハイドンの交響曲第100番『軍隊』、R.シュトラウスの『アルプス交響曲』、ギル・シャハムをソリストに迎えたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、ストラヴィンスキーのバレエ組曲『火の鳥』、そしてマーラーの交響曲第9番です。全部で5作品ですが、それを傘のように繋げて一つのテーマを設けているわけではありません。では、なぜこの5曲を選んだかというと、これらの作品ならば作曲家の活躍した時代的なものや、テクニック、オーケストラの色彩など、様々な際だった側面を聴いていただけるのではないかと思ったからです。そこで古典から20世紀に至るまでのこの5曲を選びました。その中で、マーラーの第9番は悲痛な内容を含んだ曲です。また『アルプス交響曲』は、自然を描いた曲ですが、それだけではなく自然を体感する人間がどのような感情体験をするかを表現した作品です」 ヤンソンスはこれまで長きにわたり、ロイヤル・コンセルトヘボウ管とバイエルン放送響の2つの首席指揮者を兼任してきた。しかし2015年にコンセルトヘボウ管のポストを退任した後、バイエルン放送響は、ヤンソンスの首席指揮者任期を21年まで延長すると発表している。奇しくもそのタイミングは、ベルリン・フィルの次期シェフが決定する直前のことだった。 「ベルリン・フィルのことで言えば、シェフ選挙の前日まで、ベルリン・フィルの指揮をしていました。正直に申し上げれば、私にはかなりのチャンスはあったと思います(笑)。でも私はその時、すでにバイエルン放送響に留まることを決意していました。なぜなら、バイエルン放送響の本拠となる新ホールを建設する話が12年間にもわたって進行しており、もし私がオーケストラを離れてしまうとそれが水に流れてしまう。それは使命とも言うべきものでした。幸運なことに、(インタビュー時)数ヵ月前に建設が100パーセント決定したのです。ですから、残ると決めた意義と価値が本当にあったと思います。でも、これからは問題が山積しているので、音響や建物の形状について私が助言し続けないといけません」 インタビュー中も笑顔を絶やさない人間味あふれるヤンソンス。優しい人柄と共にバイエルン放送響との強い絆が感じられるエピソードだ。これまで健康上の問題もあり、オペラを指揮する機会は多くなかったが、これからは少し事情が変わるという。 「私はオペラが大好きです。父(アルヴィド・ヤンソンス)はオペラハウスの指揮者で、母は歌手でしたから、子供時代はオペラハウスで育ちました。ですからオペラに強い情熱を持っています。でもこれまで、常に2つのオーケストラの指揮者のポストを持っていましたので、オペラは難しかった。例えば来年6月に、アムステルダムで《スペードの女王》を指揮しますが、2ヵ月半はアムステルダムに留まらなくてはならない。またオペラはその準備が大変です。作曲家が考えた楽譜をもとに、一つひとつのフレーズにどういう意味があるのか、すべての答えを持っていなくてはならない。なぜこの音が書かれているのか、探り出した上で指揮したいのです。コンセルトヘボウ管のポジションがもうありませんので、これからは少し時間に余裕ができます。ようやくオペラに打ち込める環境が整いつつあるのです」 じつは、2017年夏のザルツブルク音楽祭で《ムツェンスク郡のマクベス夫人》を、また18年には《スペードの女王》を指揮するという噂が浮上している。 最後に指揮者としての信条をきいた。 「音楽を演奏する時、まず自分の直感を信じて、それから音楽を組み立てていく。そして技術一辺倒ではなく、アンサンブルの妙技や感情など、あらゆることにおいて高い水準の演奏を創りあげることに心を注いでいます」Prole1943年ラトヴィア生まれ。現在、バイエルン放送交響楽団および合唱団の首席指揮者。また2004年~15年、ロイヤル・コンセルトヘボウ管の首席指揮者も兼任。1972年、レニングラード・フィルを率いるムラヴィンスキーの助手となり、以来、同楽団(現サンクトペテルブルク・フィル)との密接な関係を保っている。79年~2000年、オスロ・フィル首席指揮者、ロンドン・フィル首席客演指揮者(92~97)、ピッツバーグ響音楽監督(97~04)を歴任。また客演指揮者としては、世界中の主要オーケストラを網羅。とりわけウィーン・フィル、ベルリン・フィルの両楽団と深い関係を築いている。

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