eぶらあぼ 2016.11月号
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気分は明日必ず話したくなる?クラシック小噺capriccioカプリッチョ203よい音響とは? 前回、「良いホール」の話をしたが、それではその核心である「良い音響」とは、一体何だろうか。自明のようでいて、難しい問題である。というのもそれは、最終的には聴衆の嗜好の問題だからだ。もちろん客観的に音の良い(ないし悪い)ホールは存在する。しかしある水準を越えると、まず「何を良しとするか」を考える必要がでてくる。 ベルリンのフィルハーモニーは、筆者にとっては基準であり、実際優れた響きだと思うが、実はこんなことがあった。ミラノから来た知人(日本人)が休憩中に、「フィルハーモニーって、音が悪いですね」と言うのである。驚いてなぜかと聞くと、「ものすごく音響過多じゃないですか」とおっしゃる。彼女にとって良いホールとはスカラ座で、比較すると「もごもごしている」というのである。ところがその1週間後、日本(東京)から来た知人にも、憤然と「ベルリン・フィルって、こんなホールで弾いてるんですか」と言われた。曰く、「あまりにもデッドすぎて、響きがギスギスしている」とのこと。つまりふたりは、まったく逆の観点から、同じホールの音響をネガティブに判断したのだ。 これは要するに、こういうことだろう。イタリアの知人にとっての良い響きとは、声が通りやすい直接的な音響のこと。ソリストがオーケストラに埋もれる音はダメで、“オペラの国”ならではの美意識と言える。一方、東京の知人にとっては、ずばりサントリーホールが基準である。同ホールのアコースティック(永田音響設計による)のテイストに慣れた耳には、フィルハーモニーの音はドライに聞こえるのだ。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。 筆者に言わせると、フィルハーモニーの音はドイツ人好みの音だと思う。というのはこのホールでは、細部がよく聞き取れると同時に、響きの豊かさも確保されているからである。一般に音像とは、座る位置が舞台から離れれば離れるほど不明瞭になるが、フィルハーモニーでは、クリアに聞こえる距離が、普通のホールよりも長い。ドイツ音楽、例えばベートーヴェンのシンフォニーなどは主題の展開や対位法を駆使する音楽なので、細部がきちんと聞こえた方が分かりやすいのである。その一方で、マーラーやR.シュトラウス等の後期ロマン派作品は、大編成の豊かな響きを求める。オーケストラが幅広い響きで鳴ってこそ、演奏効果を発揮するわけである。 フィルハーモニーは、明瞭さと豊麗さの双方にベクトルが向いているため、ドイツ音楽にマッチしている。逆にイタリアの超ドライな劇場でマーラーを演奏すると、反響が足りず豊かに聞こえない、ということがしばしばある。しかし地元の聴衆は、その響きに慣れているため、意外に悪い音だとは感じないかもしれない。つまり結局は、聴き手のとらえ方の問題。「何を良しとするか」は、嗜好や習慣に依存すると考えられるのである。城所孝吉 No.4連載

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