eぶらあぼ 2016.7月号
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41アレクサンドル・ラザレフ(指揮) 日本フィルハーモニー交響楽団いよいよショスタコーヴィチ最後の交響曲と向き合う文:飯尾洋一コルネリウス・マイスター(指揮) 読売日本交響楽団交響曲の“朝”と“悲劇的”な到達点文:柴田克彦第682回 東京定期演奏会ラザレフが刻むロシアの魂SeasonⅢ ショスタコーヴィチ67/8(金)19:00、7/9(土)16:00 サントリーホール問 日本フィル・サービスセンター03-5378-5911 http://www.japanphil.or.jp第560回 定期演奏会7/14(木)19:00 サントリーホール問 読響チケットセンター0570-00-4390 http://yomikyo.or.jp 毎回の公演が大きな話題を呼ぶラザレフと日本フィルのコンビによるショスタコーヴィチ・シリーズ。このシリーズ第6回は、グラズノフのバレエ音楽「四季」とショスタコーヴィチの交響曲第15番が組み合わされる。また、ラザレフの首席指揮者としてのラストの定期であることも注目の公演だ。 作曲者最後の交響曲である第15番が演奏されるとあって、「いよいよ来たか!」と心待ちにする方も多いのではないだろうか。なにしろ、自作や他人の作品からの引用が散りばめられたこの曲は、一筋縄ではいかない。闘病の日々を送っていた晩年のショスタコーヴィチがその生涯を述懐するかのような自伝的交響曲である一方で、さまざまに解釈されうる多数の引用や“ほのめかし”は、時代を先取りしているようにも思える。 そしてラザレフは若き日にこの問題作の初演に立ち会っている。初演で指揮台に立ったのはショスタコーヴィチの息子マキシム。ラザレフによれば、リハーサ 独墺の伝統的な交響曲における“父”ハイドンと“最後の息子”マーラーの“6番”を並べた興味深い公演が、7月の読響定期で実現する。指揮はコルネリウス・マイスター。2014年9月以来の同楽団登場となる。1980年ドイツ生まれの彼は、24歳でハイデルベルクの音楽総監督に就任し、2010年からウィーン放送響の芸術監督兼首席指揮者を務めて、“恐るべき才能”と賞賛されている。コンセルトヘボウ管、パリ管、ウィーン国立歌劇場、スカラ座ほか客演の実績も十分。日本では、26歳時に新国立劇場の《フィデリオ》を振って驚かせ、12、16年のウィーン放送響の来日公演でも賞賛を博している。 さて、ハイドンの第6番「朝」は、十数人の小編成によるバロックの合奏協奏曲的な作品。明るく爽やかな音楽は、まさに“交響曲の朝”を思わせる。かたやマーラーの第6番「悲劇的」は、100人近い大編成による重層的で壮絶な音楽。衝撃ルでマキシムはたびたび指揮台を下りて客席に座った父親のもとに足を運んだという。初演のリハーサルを目撃するというのは、同時代を同じ国で生きた音楽家だけが持つことのできる財産といえる。確信に満ちた作品解釈を披露してくれることだろう。 一方、グラズノフのバレエ音楽「四季」はカラフルな色彩感に富んだ作品である。とりわけ「秋」は吹奏楽版編曲で広く親しまれている。「冬」から始まり、収穫の「秋」的なハンマーの一撃は“交響曲の終焉”を示唆するかのようだ。両曲をいかに対照させ、等しい感銘をもたらすか? そこが今回の肝となる。マイスターはこれまで、力づくでない爽快な演奏を披露。特に読響との「アルプス交響曲」は、各場面の音の綾を浮き彫りにした、颯爽たる快演だった。かような特質は、大小各編成で絶妙に音が綾なす本プログラムで、大いに生きるに違いない。またハイドンでは読響の名手たちのソロ、マーラーでは日本随一の壮麗なサで華やかに終わるという、春夏秋冬ならぬ冬春夏秋という構成の妙。ロシアの自然が生み出す雄大な情景を楽しみたい。ウンドと近年増した精緻さが強力な武器になるであろう。 このプログラムは指揮者たっての希望だという。“マイスター=名匠”の手腕に期待がかかる。アレクサンドル・ラザレフ ©浦野俊之コルネリウス・マイスター ©読響

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