eぶらあぼ 2016.7月号
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35チョン・ミョンフン(指揮) 東京フィルハーモニー交響楽団深く没入して描かれる2つの名交響曲文:江藤光紀飯森範親(指揮) 東京交響楽団ロシア・アヴァンギャルド最後の輝きを放つ傑作が遂に日本初演!文:江藤光紀第103回 東京オペラシティ定期シリーズ7/21(木)19:00 東京オペラシティ コンサートホール問 東京フィルチケットサービス  03-5353-9522 http://www.tpo.or.jp第643回 定期演奏会8/4(木)19:00 サントリーホール問 TOKYO SYMPHONY チケットセンター044-520-1511 http://tokyosymphony.jp 7月の東京フィルの定期に、同団桂冠名誉指揮者のチョン・ミョンフンが登場し《蝶々夫人》(演奏会形式)(22日、24日)と、交響曲プログラムを振る。オペラ座の監督も歴任してきたチョンと、“オペラが日課”といってもいい同フィルなだけに《蝶々夫人》の前評判が高いが、その直前(21日)にモーツァ 正指揮者・飯森範親が登場する東響8月定期では、ソヴィエト1930年代最大の問題作の一つ、ポポーフの交響曲第1番が日本初演される。 ロシア革命直後には前衛芸術が花開いたソヴィエトだが、スターリン独裁体制が揺るぎないものとなるにつれ、思想・文化・芸術面においても自由が圧迫されていったのはよく知られている。ショスタコーヴィチの代表作、交響曲第5番(1937)はそれまでの前衛的な作風に対する批判を受け作曲された、いわば反省文であった。 それとまさに同時期に、ショスタコーヴィチと同じくらい、いやひょっとするともっと過激な音楽を書いていたのがガヴリイル・ポポーフである。ロシア・アヴァンギャルド最後の輝きとも言うべき出世作、交響曲第1番(1935)で、ポポーフは巨大オーケストラをフルに鳴らしきる。ブルドーザーのように爆走する、アドレナリン大放出の両端楽章に、リリカルトの交響曲第40番とチャイコフスキーの交響曲第4番による演奏会も予定されている。よくある名曲プログラム、と侮ってはいけない。こういうところに意外な良演が隠れている。 チョンは2001年から東京フィルのスペシャル・アーティスティック・アドヴァイザーを10年にわたり務め、名演を連発した。筆者にとってのチョンの最大の魅力は音楽への没入の深さで、のってくるとオーケストラが朗々と歌い出す。それは欧米の指揮者にはあまり見られない、演歌調というか、ちょっと湿っぽいけれど琴線に直接語りかけてくるような歌だ。欧州での出番も多いチョンだが、自らアジア・フィルを設立したのをはじめ、ソウル・フィルでも音楽監督のルな緩徐楽章が挟まれた本作は、その急進的なモダニズム性から「階級の敵」と非難され、以降は作風の転換を余儀なくされた。 オルガ・シェプスがソリストを務める、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番にも注目したい。音楽家の両親のもとモスクワに生まれ、ドイツに移りケルン音大のパヴェル・ギリロフの下で学んだ。地道な活動を通じてじわじわと支持を広げ、ソニー・クラシカルから次々とリリースされるディスクも高い評価を得ている。チャーミングないでた職にあり、時には北朝鮮の楽団を指揮することも厭わない。アジアをつなぐ活動には当然国際親善という意味合いがあるだろうが、その根本を支えているのがこのアジア的な歌心なのではないか、と筆者はひそかに考えている。 さて、その上での今回の演目。チョンのリードの特徴を知悉する東京フィルだが、このコンサートが侮れないのは、名曲であるがゆえに楽団員も曲をよく知っており、さらに2曲ともに短調で、哀愁を帯びた旋律が駆け抜け、過酷な運命に打たれる人間の苦悩が描かれるという点だ。核心にいきなり切り込んでくるのではないだろうか。ちそのままに、指先から奏でられるメロディは憧憬にあふれ、時にロシア特有の強い夢想を垣間見せる。昨年初来日を果たしたが、早くも再訪だ。チョン・ミョンフン ©K.Miura飯森範親 ©川崎 領オルガ・シェプス ©Uwe Arens

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