eぶらあぼ 2016.6月号
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38モーツァルトのオペラは自分を取り戻せる場所ですね取材・文:岸 純信(オペラ研究家) 写真:吉田タカユキ ワーグナーの《マイスタージンガー》の凛々しいハンス・ザックスから、ヴェルディの《オテロ》の“色悪”ヤーゴまで、濃色の美声と際立つ容姿で様々な男性像を光らせてきたバリトン、黒田博。東京二期会を牽引する大物スターながら、舞台姿も素顔もひときわ若々しい彼が、来る7月、モーツァルトの傑作《フィガロの結婚》に主演する。 「モーツァルトのオペラは僕の“巣”または“陣地”です。つまり、自分を取り戻せる場所ですね。モーツァルトが自由に歌える喉なら他の作曲家も歌いやすくなります。昨春にヤーゴを演じた時も、魅力的な役を歌えることを喜びながら、でも、終わったらすぐモーツァルトの世界に戻ろうと決めていました。そうすると声の健康状態の確認にもなるんですよ」 それはある意味、“神童”の音楽に「人間を回復させる力がある」ということか。 「そうですね…モーツァルトの音楽の表現法は、『いかに自然に、言葉を歌で語るか』という点に尽きると思います。何か力んでやろうとすると不自然になる。イタリアのベルカントものだと旋律美を伝える際に発音が多少犠牲になる嫌いもありますが、モーツァルトのオペラでは言葉そのままに音楽がついているので、良い響きで歌詞を語ればそれで十分。皆様にもストレス無く聴いていただけるはずです。僕は邦人作曲家の日本語によるオペラを歌う機会も多いですが、これもモーツァルトと同じですよ。特別な苦労は無くて、常に、言葉のままに歌うだけです」 今回の《フィガロの結婚》は、定評ある宮本亜門の演出。前回の上演ではアルマヴィーヴァ伯爵を演じた黒田が、今回は主人公のフィガロに挑むことに。 「このオペラでまず面白いのは、あのフィガロが、最初のうちは結婚できる嬉しさでのぼせ上がっているところ。ロッシーニの《セビリアの理髪師》での才気煥発な彼とは違って若干ねじが緩んでいるんです(笑)。だから、愛するスザンナに『しっかりしてね!』と言われてハッとなり、そこから徐々に本来の彼に戻ってゆきます。第2幕のフィナーレで、伯爵が『この嘘つきめ!』と厳しく迫るのを何とか切り抜けるべく、『人相が嘘をつくんで。私は全然ついておりません!』と言い張るくだりなど、まさに彼らしい一言でしょう。ちなみに、フィガロは伯爵よりも音域が低く、その点でも無理に響かせないよう注意しなければならないのですが、ただ、発声に関しては以前ほど頑張らなくなってきている自分がいます。逆に言うと、喉でどうこうするよりは、響きを身体に全部任せてしまうといいますか…まあ、難しい一節を何でもないように歌い演じてこそオペラですからね」 究極のアンサンブル・オペラとして、大勢の人物が丁々発止で絡み合う《フィガロ》。主演者として稽古場を率いる黒田が心がけることは? 「まずは、リハーサルの段階で空気を密に作る必要があります。プリマドンナ最優先の演目とは違って、《フィガロの結婚》では演者同士の『アンテナの張り方』が大事なんですよ。例えば、渋谷のスクランブル交差点で大人数が一斉に渡ってゆけるのも、実は人それぞれでアンテナを張り巡らしているからですよね? オペラの現場でも、皆が互いに『どんな風に球を投げてくるかな? それなら、こっちはこんな風に受けて…』などいろいろ考えつつ練習して、一番良いやりとりを本番で披露するわけです。今回のキャストは互いの意図を敏感にキャッチしあえる面々が揃ったと思います」 穏やかさと鋭い眼差しが絶妙なバランスで共存する黒田。意外な一面として、料理も得意とのこと。 「イタリア留学中は、市場でイワシを半キロ買って、その日のうちに全部捌いて塩を振って一夜干し…ま、食べないと歌えないからてきぱきとやりました! 『歌に生き、食に生き』ってところでしょうか?(笑)それはさておき、《フィガロの結婚》は、やはりオペラの特級品ですよ。まさに『音楽のすべてが自然体』なんです。よく言われるように、モーツァルトの身体を借りて神様が書いた曲なのでしょう。オペラ未体験の方でも必ず楽しんでいただけると思います。頑張ります!」Prole京都府出身。日本を代表するカヴァリエ・バリトンのひとり。モーツァルト作品、邦人作品で高い評価を受け続け、《ドン・ジョヴァンニ》《フィガロの結婚》《魔笛》(ともに宮本亜門演出)、新国立劇場《俊寛》《夜叉ヶ池》《鹿鳴館》、神奈川県民ホール《金閣寺》等に主演。またワーグナー《タンホイザー》《ニュルンベルクのマイスタージンガー》《パルジファル》、ヴェルディ《椿姫》《アイーダ》《オテロ》、チャイコフスキー《エフゲニー・オネーギン》などにも出演し、コンサートにおいてもバロックから現代作品まで幅広いレパートリーで活躍している。二期会会員。
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