eぶらあぼ 2016.4月号
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47ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)常に進化をとげる音楽へのアプローチ文:飯尾洋一飯森範親(指揮) 日本センチュリー交響楽団“発展”するオーケストラがマーラーの「第九」で勝負!文:江藤光紀6/8(水)19:00 東京オペラシティ コンサートホール問 ジャパン・アーツぴあ03-5774-3040 http://www.japanarts.co.jp他公演 6/4(土)フィリアホール(045-982-9999)、6/5(日)松本 ザ・ハーモニーホール(0263-47-2004)、6/7(火)東京文化会館(都民劇場03-3572-4311)、6/10(金)愛知県芸術劇場コンサートホール(CBCテレビ事業部052-241-8118)、6/12(日)横浜みなとみらいホール(045-682-2000)第208回 定期演奏会4/8(金)19:00、4/9(土)14:00 ザ・シンフォニーホール問 センチュリー・チケットサービス06-6868-0591 http://www.century-orchestra.jp 聴けば必ず新たな発見がある。それがヒラリー・ハーンのヴァイオリン・リサイタルだ。この6月の来日公演でも、ヒラリーならではの独自性を持ったプログラムが組まれた。 プログラムの前半はモーツァルトの「ヴァイオリン・ソナタ K.379」とバッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番」。古典的な名曲が2曲並ぶ。モーツァルト作品は第1楽章がゆったりとしたアダージョで開始され、これに短調のアレグロが続くという特徴的な一曲だ。バッハ作品は言うまでもなく無伴奏ヴァイオリンのための聖典からの一曲。高い技巧とみずみずしい音色によって、流麗な音楽が紡ぎだされることだろう。 一方、後半はがらりと雰囲気を変えて、アントン・ガルシア・アブリルの「6つのパルティータ」より、コープランドの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」、ティナ・デヴィッドソンの「地上の青い曲線」が演奏される。コープランドのソナタは明快な作風で書かれた作品で、ところどころにアメリカの民謡を思わせるよう 2014年に創立25周年を迎えた日本センチュリー交響楽団。これを機に首席指揮者に就任した飯森範親とのコラボが好調だ。昨シーズンの楽団のテーマ『挑戦』が、今シーズンは『発展』へと変わり、さらに意欲的なチャレンジが期待できる。 そんな彼らの意気込みが伝わってくるのが4月定期。東京特別公演で披露した「復活」や、CD化され好評を得ている「大地の歌」と、彼らは継続的にマーラー演奏に取り組んできた。今回は交響曲第9番。純粋な器楽作品ということで、これまでとは一味違う直球勝負である。 「第九」というと、ベートーヴェン以降「作曲すると命を落としてしまう」というジンクスは有名だ。マーラーもそれを恐れて「大地の歌」にナンバーを振らなかったのだが、結局次の「第九」を完成させて死んでしまった。それに消えな親しげな表情を垣間見せる。スペインのアントン・ガルシア・アブリルとアメリカのティナ・デヴィッドソンは、ともにヒラリーの「27の小品」プロジェクトに参加していた作曲家である。このプロジェクトは現代の作曲家と聴衆をつなげるべく、ヒラリー自ら作品を委嘱したもので、同名のアルバムがリリース済み。私たちに届く今の音楽とはどのようなものか、という問いに対するヒラリー流の回答とでもいえるだろうか。入るように終わるアダージョの終楽章を聴くと、死をイメージせざるを得ない気分になる。それを『発展』のシーズンで取り上げる。その心やいかに。 「9番はマーラーにとっては、次の10番や11番に向けての一つの区切りで、まさか自分が死ぬなんて思っていなかったんじゃないか。そうじゃないと、ここまでのものを込める気力はでてこなかったと思うんですよ」。実に飯森らしい(!)コメントである。演奏に接するたびに「なんて前向きで、溌剌とした音楽をする人だろう」と感じてきたが、どうやら彼の人柄もそのままのようだ。これまでのマーラー観や「第九」への固定観念を打ち破ってくれそうなワクワク感だ。“超ポジティヴ”こそ、発展の極意なり。©Michel Patrick O'Leary飯森範親 ©Yuki Hasuimoto

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