eぶらあぼ 2016.2月号
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238 この人が踊れば、見慣れたはずのヒロイン像が全く新しい輝きと、ときに痛々しいほどの繊細さを伴って立ち上がってくる――。 アリーナ・コジョカルの舞台を観て、そう感じてきた人は多いはずだ。英国ロイヤル・バレエ団時代の、同団の“家の芸”でもある『眠れる森の美女』や『ロミオとジュリエット』、そしてイングリッシュ・ナショナル・バレエに移籍しての、凄みすら感じさせる『ラ・バヤデール』や『ドン・キホーテ』。近年の日本での舞台だけに限っても、際立った名演を続けてきた。 そのコジョカルの次なる来日として待たれているのが、振付家ジョン・ノイマイヤー率いるハンブルク・バレエ団の日本公演である。研ぎ澄まされた踊りを入り口に、踊り手にも(観客にも)深い思索を要求する彼の作品に、内省的な彼女が似合わないはずがない。しかも予定されている全幕バレエ2つのうち、『真夏の夜の夢』は彼女が初めて主演したノイマイヤー作品であり、その後のコラボレーションにも道を開いた、忘れがたいもの。そして『リリオム―回転木馬』は、彼女のために作られた特別なバレエである。 シェイクスピア原作の『真夏の夜の夢』は、妖精の女王タイターニアと人間の女王ヒッポリータを一人のバレリーナが踊るというノイマイヤーの設定がユニークだという。 「それによって妖精と人間の世界が結びつき、初めは互いの存在を感じることもなかった2人が、それぞれに与えられた物語を演じながら影響し合い、成長し、やがてはソウルメイトともいえる不可分の存在になっていきます」 だからこそ、全てが結びつき大団円を迎える〈結婚式のパ・ド・ドゥ〉が美しいのだ、と。1975年の初演とかなり古い作品だが、ノイマイヤーは主演者や劇場が変わるたびに細かく手を入れている。 「作品は今も進化し続けている印象を受けます。バレエは生きた芸術。古典の伝統美を常に磨く一方で、“今観て美しい”ことが大切。私はそのことを、ジョンから教わりました」 一方、2011年に作られた『リリオム』は、映画やミュージカル『回転木馬』としても知られている、アメリカの大恐慌時代に社会の底辺に生きた、ならず者のリリオムとその妻ジュリーの物語。ノイマイヤーは長年この戯曲のバレエ化を温めていたが、一方コジョカル自身も、この物語にはずっと惹かれていたのだという。 「創作の過程で、全てのことが一つに結びついたような感じでした。普通、人間というのは相手を言動で判断するけれど、ジュリーはそうではないんです」 一見、粗暴なリリオムの魂の善良さ。「だから彼といればそれだけで幸せで、その感覚が確かなものだったからこそ愛を信じることができた。ジュリーは、弱いけれど強い存在ですね」 なかでももっとも美しい場面が、以前に東京でも「ドリーム・プロジェクト」で踊った〈ベンチのパ・ド・ドゥ〉だという。 「まったく違うタイプの2人が出会って、素直な心で結びつけるというのは、ほとんどの人の人生にはない“真実の瞬間”ですよね。そして2人の運命はその後、坂を転がり落ちていく――という転機は、多くのバレエでは寝室で起こるのですが(笑)、『リリオム』ではそれがベンチでなんです」 このパ・ド・ドゥでは、風船の使い方がとても印象的だ。 「風船はここだけでなく全体を通して重要な小道具として使われて、ジョンが心を砕いた“この世と天国の間にある世界”をとてもシンプルに、みごとに現出させるのに一役買っています。人生というのは、一筋縄ではいかないもの。でもそのことを、この作品はとてもわかりやすく伝えてくれるんです」 『リリオム』の初演についてコジョカルは、「ほぼ同時期にジョンの代表作の『椿姫』を初主演できたこともあって、もうこれで踊りを辞めても思い残すことはないというほど、すばらしい体験でした」と語るが、とはいえ、それが濃密な時間であればあるほど、もっと踊りたい、観て欲しいと思うのが踊り手の常。自らも心を震わせたそのドラマティックな時間を、日本で再現してくれる日が待ち遠しい。“今観て美しい”ことの大切さをノイマイヤーから学びました取材・文:長野由紀アリーナ・コジョカル Alina Cojocaru/ダンサー

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