eぶらあぼ 2016.1月号
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242 東京文化会館は、いまやクラシック芸術の劇場として確固たる地位を占めている。しかし1961年4月開場当時は、「まだ評価の定まっていない新しい芸術」だった現代音楽にも積極的で、かなり挑戦的な企画も多かったという。同館はその頃の原点に立ち返り、舞台芸術創造事業という新たな自主企画に取り組んでいる。 今回白羽の矢が立ったのは白井剛。長年日本のコンテンポラリー・ダンスの最先端にいながらも、捉まらず、囚われず、独自の世界を展開してきた。 「担当の方が、僕のダンスには音が見える、とおっしゃったんです。僕も普段、ダンスは視覚だけではなく、体感として音のように伝わったらいいなと思っていました。小さな動きが舞台全体に響いていく瞬間がある。音楽とは別のメロディを身体が奏でて合奏できるような舞台を作れればと、お受けすることにしました」 共演は、ピアニストの中川賢一とビジュアルアーティスト・プログラマーの堀井哲史(ライゾマティクス)である。 「映像が視覚的に空間と時間を彩りながら、身体や演奏などの情報をリアルタイムに取りこんでライブで生成されていくことも考えています。 僕自身、昔はメディア・アートっぽいこともやっていました。でもコンピュータが発達して何でもできるようになると、逆につまらなくなってやめてしまった。その後も折に触れ試してはいるんですが、観客からすれば『身体の動きが映像にリアルタイムで反映されている』のか『できあいの映像に身体の動きを合わせている』のか、区別がつかなかったりする。また人間同士なら、こちらが何もしなくても動いてくれますよね。目配せひとつでずらしたり、せめぎ合ったりできる。でもセンサーはつねにこちらに従順に反応するだけなので、意外にすぐ飽きてしまう。そうした課題を研究し、リアルタイムな係わり方の新しい可能性について堀井さんと見つけていきたいと思っています」 音楽担当の中川は、奏者としてはもちろん、音楽の分析研究でも名高い。 「今回使うのは現代音楽が実験を繰り返していた60〜70年代の曲が中心。中川さんの得意分野でもありますが、分析され解体されつつ人間的な情緒も感じる楽曲達です。現代音楽の複雑な響きに新たな快感のツボが刺激されるようなものをやりたいですね」 中川だから弾きこなせる、といわれるくらい体力が必要な曲もあるという。舞台上で生演奏する中川に、白井が絡んでいったりするのだろうか。 「中川さんは現代音楽の世界でも特に過激な方で、パフォーマーとして迫力のある人なんですよ(笑)。ただ演奏家は演奏に集中しているときが一番カッコいい。『見せるための動き』じゃなくて、『ひとつの音を出すための必然的な動き』ですからね。邪魔はしたくありません。演奏に負けないダンスをどう立ち上げるかは、僕にとっての大きな挑戦です」 音楽と映像は互いに影響し合うのだろうか。 「現在はグランドピアノとしての生演奏にも耐えられる『MIDIピアノ』を試しているところです。これは鍵盤の下にセンサーが仕込まれていて、演奏データの記録もできる。それをコンピュータへの入力装置として使うことを考えています。音の波長をデジタル化するのは割と簡単なんですが、今回は一つひとつのキータッチの繊細な強弱までも捉えることが可能です」 会場となる小ホールは、洞窟にもたとえられる独特な造りだ。 「ふつうの劇場空間とは違う強さと難しさがありますね。扇形のような構造なので、会場を包み込むように映像を映し出したり、ギュッと絞った形にしたり、色々研究しています」 作品のタイトルは、東京文化会館の機関誌『音脈』からとられたという。 「『音』を中心に考えていたとき、たまたま機関誌を目にしたんです。ダンサーはわりと感覚的に『波』とか『振動』といった言葉を使いますが、『脈』は更に生々しい感じが出ていい。演奏による音の脈動、身体を流れる生命の脈動、映像の光の波長、全てが重なったものを見せたいですね」  音・身体・光が様々に反応し合い、大きく波打つ脈動となって舞台を包む…これまでにない体験になりそうだ。身体で独自のメロディを奏でたい取材・文:乗越たかお 写真:中村風詩人白井 剛 Tsuyoshi Shirai/振付家・ダンサー

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