eぶらあぼ 2015.10月号
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ベルリン・ドイツ・オペラが黛敏郎に委嘱し、1976年に同劇場で初演された《金閣寺》。三島由紀夫の小説を原作とするこの作品は、日本でも91年の全幕初演以降、97年、99年に再演され、「日本オペラの金字塔」とまで称えられた。このほど、神奈川県民ホールで16年ぶりの上演が実現する。主役の溝口を演ずる2人(ダブルキャスト)に話を聞いた。“オペラ”としての金閣寺  12月に神奈川県民ホール開館40周年記念として上演される黛敏郎のオペラ《金閣寺》。主役の溝口を演じるのが、現在の日本におけるバリトン歌手の中心的存在である小森輝彦と宮本益光の2人。小森は、2000年からドイツ・テューリンゲン州のアルテンブルク・ゲラ市立劇場専属歌手として12シーズンにもわたって歌い続け、日本人として初めてドイツ宮廷歌手の称号を得た。宮本は東京芸術大学でオペラの日本語訳詞についての研究で博士号を取得、その知見を活かした独自の訳詞上演なども手がけつつ、精力的にオペラの舞台に立ち続けている。2人とも、いわば“言葉”に関する鋭い感性と思考を身につけた歌手といえる。 ご存知のようにオペラ《金閣寺》は、三島由紀夫の小説を元に、ベルリン・ドイツ・オペラでドラマトゥルクを務めたクラウス・H・ヘンネベルクがドイツ語で台本を書いた作品。三島ならではの独特の“日本的美”の世界を、ドイツ語でどう表現するかが大きな鍵となってくる。 ドイツで仕事をし続けて、自ら「ドイツ語フェチ」というほどドイツ語を溺愛している小森は、はじめこの作品のスコアをみたとき、作曲者の黛敏郎はドイツ語ネイティブなのではないか、と疑ったほどだという。 「それくらい音楽がドイツ語とピッタリあっているんです。ドイツ語で歌っていて違和感をまったく感じない。それでいて、日本の美の世界が描かれている。不思議な融和を感じる作品だと思いました」 一方、宮本はつぎのように語る。 「ドイツ語に翻訳された時に響く言葉の美しさはもちろん大切ですが、そうした“耳に心地よいこと”は実は表層的なことにすぎない。“耳に心地よい言葉”の奥にあって私たちを求心させているものを表現するのが、我々の仕事だと考えています」 確かにこのオペラは三島作品を土台にしてはいるが、例えば溝口の吃音という設定が右手が不自由ということに変更されているなど、随所にオペラならではのリアリティを追求するための変更がなされている。最近、ドラマや映画など様々なジャンルで、こうした「原作からの変更」を良しとしない意見が散見されるが、そうした意見を感情的には「わかる」といいながらも、小森は「それは最終的に出来上がったものをみていないのではないか」という。 「黛敏郎がオペラにした時点で、原作からの解釈は終わっているんだと思うんです。だから、僕たちは“黛の音楽”以外のものを表現してはいけない。それが再現創造者としてのオペラ歌手の義務だと思います」 「音楽にものすごくパワーがあるので、終わってみたら“三島作品のオペラ化”という思いは払拭されるんじゃないかな」と宮本。確かに、私たち聴衆の側も必要以上に三島由紀夫を意識せず、ごくシンプルに「オペラとしての金閣寺」に接していくことが求められているのかもしれない。《金閣寺》と現代  話を聞いている中で、2人から「声楽家としてのあり方」についての真摯な考えが吐露されたのが印象的だった。小森からは「劇場というのは大変な日常を生きている人たちに勇気を持ち帰ってもらうためのもの」という、いかにも「劇場で長い間生きている人」ならではの言葉が聞けた。宮本は、「芸術家としての命題」について述べる。 「この社会の中で音楽家として何ができるのか、ということを考えた時に無力感に襲われることがあります。音を奏でることは、時にこの無力感との勝負だったりするのですが、『金閣寺』という作品は、まさに芸術家として無力感にいかに向き合うかという物語だと思うんです。溝口は金閣寺を燃やすことで無力感を払拭しようとした。では我々は…というテーマを突きつけられているのだと思います」 歩んで来た道も、音楽に対する接し方もまったく異なる2人だが、音楽がこの世にあることの喜びを誰よりも知っていて、そのことを私たちに伝えたいという強い情熱を持っている。そんな小森輝彦と宮本益光のダブルキャストによるオペラ《金閣寺》。それぞれに違う溝口を舞台上に登場させてくれるに違いない。取材・文:室田尚子 写真:青柳 聡小森輝彦 × 宮本益光 オペラ≪金閣寺≫をめぐってTeruhiko Komori/バリトンMasumitsu Miyamoto/バリトンinterview 40

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