eぶらあぼ 2015.5月号
37/225

34トーマス・ヘンゲルブロックThomas Hengelbrock 指揮マーラーの「巨人」を特別なバージョンでお聴かせします取材・文:寺西 肇 古楽からバイロイト音楽祭まで、様々なシーンで新たな地平を切り拓いてきた名匠トーマス・ヘンゲルブロックが、首席指揮者を務めるハンブルク北ドイツ放送交響楽団を率いて3年ぶりの来日を果たす。テンシュテットやヴァントら巨匠が率いた、名門のシェフ就任から4年。数々の新機軸を打ち出し「これからも、幅広いレパートリーを追求してゆく」と力を込める。「この楽団の豊かで深く落ち着いたドイツ的な響きは、特に木管楽器が基礎になっています。その音色には、過去に首席指揮者を務めた巨匠たちの特徴がまだ残っている。一方で、自在に流れていくサウンドは、各時代の作品が必要とする様式に適合できる、多様な応用力があります。何より、彼らと共に音楽を創る課程と空間には、果てなき情熱と集中力、そして演奏をする一体感と喜びが存在しています」 来日公演のプログラムのひとつでは、マーラーの交響曲第1番「巨人」を、1893年稿で上演する。マーラーは1889年のブダペスト初演の失敗を受け、ハンブルクでの再演に際し、4楽章構成・4管編成から、「花の章」を加えた全5楽章・3管編成へと改訂。ヘンゲルブロックは、今回使用する国際マーラー協会版の新校訂譜の編纂作業にも参加。昨年には北ドイツ放送響と録音したCD(ソニーミュージック)も発表し、大きな話題となった。「ハンブルク稿からは、若きマーラーが、いかにして、多くの文献を引用して様々な発想を盛り込んだ“標題音楽”を目指したかが分かります。例えばジャン・パウルの小説に触発されたタイトルをはじめ、現行版に登場する詩的な言葉や解釈が、“オリジナル”のハンブルク稿から採られたのかも理解できます。また、ハンブルク稿にも様々な異稿があり、今回は特別なバージョンです。例えば、冒頭のカッコウの動機はホルンが担当しますし、他にもテンポや強弱など演奏法の違いは明確。様々な発見があると思います」 そして、もうひとつのプログラムでは、ベートーヴェンの交響曲第7番をメインに。「この交響曲の表現の豊かさと、その明確な修辞法は、ベートーヴェンの作品すべてに共通しています。そして、楽団創設時の70年前からレパートリーに組み込まれていたこの作品を通じて、素晴らしい指揮者が率いた痕跡を辿ることができる。光栄ですね」 これらに組み合わされるのは、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。「この曲は、子どもの頃から大好きでした。当時習っていたヴァイオリンの先生は『難し過ぎる』という理由で楽譜を与えてくれなかったので、両親が眠った後、ナタン・ミルシテインの録音をこっそり聴いていました。翌日、頭に残った音を頼りに練習し、実際に一度も楽譜を目にしないまま、弾けるようになりました」 そして、ソリストを務めるアラベラ・美歩・シュタインバッハーを「素晴らしい演奏家であると同時に、人を魅了する個性の持ち主」と評する。「これまで多くの作品へ共に取り組みましたが、特殊なプログラムも可能にしたのは、彼女の存在あってこそ。今では楽団にとっても、長い付き合いの親友です」 6月5日公演には新鋭ピアニストのハオチェン・チャンを迎えてシューマンの協奏曲も披露する。こちらも楽しみだ。 かつては、「古楽の鬼才」と謳われたヘンゲルブロック。前回来日の際には、モーツァルトでナチュラル・トランペットを使用するなど、その片鱗を見せた。「首席指揮者に就任した時の目標は、レパートリーや演奏方法の幅を柔軟に広げることでした。機会に応じて古楽器も使用し、パート配置を変え、奏法も色々と試みます。さらに、知られざる曲を発掘し、意外な曲目の組み合わせも。今は、2017年1月のオーケストラの本拠地となる新ホールのオープンに向けて、準備している真っ最中です」 自身にとっての音楽を「生きる力。最終ゴールはありません」と表現する名匠。「音楽には正しい答えがひとつではないところが面白い。重要なのは、どんな作品を演奏しても、作曲家が何を意図したのかを常に問い直しつつ取り組むこと。常にオープンに、探究心を持ちながら向き合うことが大切です。そのためにも、『クラシック』という狭い概念に、捉われたくない。私自身は様々な音楽に関わってきたし、このスタンスを変えようとは思いませんね」 静かな、しかし情熱を秘めた言葉で締め括った。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です