eぶらあぼ 2015.5月号
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32イヴリー・ギトリスIvry Gitlis ヴァイオリン楽譜に込められた魂やフィーリングを表現することこそ、最も大切なのです取材・文:寺西 肇 クラシック音楽の演奏史に滔々とした流れを形づくるヴィルトゥオーゾの系譜を受け継ぐ一方、誰が聴いてもすぐに彼のものと分かるオリジナリティあふれる演奏で、私たちを魅了し続けるヴァイオリンの巨匠、イヴリー・ギトリス。今年もまた、「訪れる度に、愛情が深まる。今回もきっと恋するはず」という日本で公演を開く。「ライヴは一度きりの実体験。いわば生身の人間であり、録音は彫刻のようなもの。音楽に対する愛情があれば、その違いがわかると思います」 今回はリサイタルに加え、協奏曲でも、彼の音楽への愛情の証である艶やかな音色を紡ぐ。 技術偏重の風潮を憂えて、かつて巨匠は「たとえ音程が間違っていても美しい音は、1000の正しい音より、遥かに価値がある」と語っている。「正確に楽譜を読み取らなければならない一方、それを単に弾くだけでは音楽とはならず、音符ごとに表現を考えてゆかねばなりません。いやむしろ、そこに込められている魂やフィーリングを表現することこそ、音楽にとって、最も大切。正確さを目的にすることなんて、あり得ないのです。音楽とは、すなわち“表現”ですから…。これだけは、永遠に変わらぬ、真実だと思います」 今回の来日リサイタルでは、俊英ヴァハン・マルディロシアンのピアノで、ブラームスの第3番など名ソナタから、クライスラーの小品まで、愛奏曲を披露。これに先立ち、東日本大震災の被災地・宮城に赴き、ベートーヴェンのソナタ第5番「春」に、復興への願いを託す。実は、震災の発生直後にも、宮城入りしたギトリス。「皆さんと共にいなければ、行かねばと、とっさに思ったのです。理由はうまく説明できませんが、私にとって行く必要があった。自然災害は世界のあちこちでいつも起き、多くの悲劇が生まれています。被災地へは聴衆だけではなく、自分のためにも行く。それが私のモチベーションの一つです。『音楽家ならば、そこに行って弾く』ただ、それだけなのです」 また、マルディロシアンが指揮する日本フィルと共演する夕べも開催。もう1人のソリストに愛弟子の木野雅之を迎え、バッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲」も披露。「木野さんは素晴らしいヴァイオリニストで、私も多くを彼から学んでいます。どちらが生徒でどちらが指導者なのかわからないほどです。愛情にあふれた共演になると思いますよ」 木野をはじめ、多くの優れた弟子を育ててきたギトリスだが「私は弟子や生徒がいる、と思ったことは一度もありません」と語る。「何かを教えるとか伝えるとかでなく、音楽をシェアし、私がそこから学び取っているのですから。個性を表現できるような、洞察力をお互いに高め合っているのだと思いますね」 今の若い奏者に伝えたいのは、文豪シェイクスピアの言葉である「Be true to yourself(自分自身に誠実であれ)」だと言う。「人がどう思っているか、どうしているのかなどを気に留めず、自分自身をしっかり持って、好きなフィーリングを表現してくれればよいのです」 これからも、挑戦する課題はあるのかとの問いには「生きていること自体が、チャレンジです!」と力強く返答。そして、ヴァイオリンと自身を「馬と騎士のような関係」に、音楽を「永遠に共に過ごす、私の宇宙」と例えた。「音楽は、私にとって、息をするのと同じこと。そして、頭から爪先まで、全てが私の表現です。そう。私という存在の中心に位置する愛憎そのものであり、全てなのです。私の全てなのだからこそ、時にHappy(幸福)であり、Fun(楽しみ)でもあり、時にはMiserable(哀れ)でもあって、あらゆる瞬間なのです。これは、他の何にも代えられません。さらに、音楽はフィーリングであり、『何をどう表現するか』は自分の心づもりひとつで決まります」

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