eぶらあぼ 2015.4月号
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第6回アートにかける覚悟を示せ! 話はそれからだ。 オレはだいたい毎年12月前後はソウル→イスラエルに行くのだが、今年は年が明けても1月に札幌→インド→札幌、2月は横浜→福岡→横浜と慌ただしかった。特に2月はオレがアドバイザーをしている福岡ダンスフリンジフェスティバルと横浜ダンスコレクションがほぼ同時期にあるのだが、今年は日程がかなり被ってしまい、けっきょく横浜には限られたプログラムしか行けなかった。 しかしね、両方面白かったのである。充実していた。これはたまたま今年が当たり年だったというよりも、「若い世代のダンスが充実してきている証拠」だと思うのだ。 福岡フリンジで感心したのは「太めパフォーマンス」である。何いってるかわからないかもしれないが、これがカンパニー名なのだ。看板に偽りなくコッテリ太めの二人(乗松薫、鉄田えみ)なのだが、以前観たときには良い印象はなかった。「太った身体が器用に動く面白さ」に寄っかかったネタでは、数分で飽きるからね。しかし今回は違った。腹の贅肉がプルップルに揺れる様も、皮ごとミキサーにかけたバナナと牛乳を一気飲みする様も、闇の中で腹をペチペチ殴り続ける音も、「これが私なんじゃい!」という迫力に充ち満ちていた。同じことをやっていても、一生を過ごす身体として「晒(さら)す」、その覚悟がビンビンに伝わってきたのである。ソウルのディレクターも「こういうのは韓国にはない!」と驚いていた。まあ韓国はモデルみたいな体型のダンサーばっかりだからだが(笑)、日本のダンスの多様性を示してくれたよ。 さて横浜ダンスコレクションについても書いておかねばなるまい。日本のダンス界に多大な貢献をしてきたが、じつは「首都圏で毎年開催される大きな国際ダンスフェス」としては唯一の存在なのである。まして長期不況の日本において20年続いているのはまさに奇跡。というわけでオレはその功績を振り返るレクチャーをしたのだが、ダンコレは大きく三つの時期に分けられる。第1期(1996年〜)。バニョレ国際振付コンクールの予選会を兼ねる。世界のダンスを招聘し、多くの若者がダンスに燃える契機となった。第2期(2005年〜)。タイトルに「R」が付加。「ソロ×デュオ」「グループ」などの部門制を取り、若いダンサーが作品を発表する場を作った。第3期(2011年〜)。タイトルに「EX」が付加。海外フェスとの連携が強化され、アジアにおけるハブとしての存在感を高めた。 という具合。「新しいダンスに触れる場→創作の場→活躍の場を広げる場」と、見事に日本のダンスを育てる役割を果たしてきたのだ。しかも海外へ羽ばたくダンサーに対して、制作面でも細かいケアをしている。海外なら外務省や文科省の外郭団体あたりがしていることを、横浜赤レンガ倉庫1号館という一劇場が孤軍奮闘しているのである。これは昨年亡くなった初代プロデューサー石川洵氏の慧眼によるもので、それは現在のスタッフにも受け継がれている。ガンバレ!Prifileのりこしたかお/作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『ダンス・バイブル』など日本で最も多くコンテンポラリー・ダンスの本を出版している。うまい酒と良いダンスのため世界を巡る。乗越たかお253

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