eぶらあぼ 2015.3月号
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28エリーザベト・レオンスカヤElisabeth Leonskaja ピアノ恩師リヒテルの想い出に捧げる二夜取材・文:伊熊よし子 2015年はロシアの偉大なピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテルの生誕100年にあたる年。これを記念し、今年の東京・春・音楽祭では《リヒテルに捧ぐ》という4公演のシリーズが企画された。このシリーズには、リヒテルとのデュオで知られるエリーザベト・レオンスカヤがソロ・リサイタルとボロディン弦楽四重奏団との共演で2回登場する。 日本では32年ぶりというソロ・リサイタルは、まさにリヒテルに捧げる演奏会。レオンスカヤの最も得意とするシューベルトの後期3大ピアノ・ソナタが組まれている。「これらのソナタは私がもっとも気に入り、演奏を重ねている作品です。演奏時間が2時間に及ぶ長いプログラムですが、とりわけ第21番のソナタは私にとって特別な存在です。第2楽章はブリューノ・モンサンジョンによるリヒテルのドキュメンタリー・フィルムの最後で使用されていて、それを観るたびに特別な感情が湧いてきます。このソナタはリヒテルを象徴する大切な作品でもあります」 シューベルトの第19番、第20番、第21番はそれぞれ異なる曲想、内容を備えている。「第19番はベートーヴェンの存在を暗に感じさせる作品です。シューベルトはしばしば『偉大なベートーヴェンのように作曲したい』と語っていました。その想いが投影されています。第20番は交響曲を連想させる均整美と長大さを併せ持つソナタだと思います。驚くほどゆっくりとした楽章は、マーラーの歌曲を思い起こさせます。そして第21番は、シューベルトという人間をいつわりなくありのままに表現しているソナタだと思います。私はこれらのソナタに長い年月をかけて向き合ってきました。これまで積んできた多くの経験と修練が演奏に反映されると思っています」 シューベルトのピアノ・ソナタは、奏者が成熟していないと弾けないとよくいわれるが…。「シューベルトの音楽にはメランコリーが宿っていますが、“開かれた心”によってメランコリーという深い感情を理解できるようになるのだと思います。それがシューベルトの音楽が私たちに求める成熟ではないでしょうか。特に第21番には“諦念”が宿っています。その意味を真に理解しないと弾けませんね」 彼女にとって、リヒテルとの思い出のなかで一番印象深いのはどういう面だろうか。「リヒテルの人生、彼が残したあらゆる功績が私にとってかけがえのない忘れがたいものです。私たちは3つの作品でデュオを行いました。グリーグ編曲による2台版のモーツァルト『ピアノ・ソナタ』、シューマン『2台ピアノのためのアンダンテ』、プーランク『2台ピアノのための協奏曲』です。私がリヒテルから学んだもっとも重要なことは、ピアノ演奏の要は弱音の表現であり、そこにはピアノ、ピアニシモ、ピアニシシモというように、無限の可能性があるといわれたことです」 今回はリヒテルと共演を重ねたボロディン弦楽四重奏団とともに、シューマンとショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲も演奏する。「私は長年室内楽にも力を入れてきました。室内楽では複数の俳優が共に演じる演劇作品と同様、どの奏者にも対等で重要な“声”が与えられているというのが私の基本的な考えです。ボロディン弦楽四重奏団は大切な室内楽のパートナーで、第1ヴァイオリンが2代目のミハイル・コペルマン、チェロが創設メンバーのヴァレンティン・ベルリンスキーだった時代からずっと一緒に演奏しています。ふたりとも尊敬すべきすばらしい音楽家です。ボロディン弦楽四重奏団の魅力は確かな音楽的素養を備えている点でしょう。彼らの間の取り方と表現力は、常に核心を衝いています」 彼女は数多くリヒテルの演奏も聴いているわけだが、もっとも心に残っている演奏は。「モスクワとアムステルダムで聴いたベートーヴェンのソナタ、それからプロコフィエフの第6番、第8番のソナタもすばらしかった。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番も印象深い演奏でしたし。次々に思い出がよみがえります。リヒテルの演奏を思い出しながら、心を込めて演奏したいと思います」
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