eぶらあぼ 2015.2月号
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劇場・ホールとは、どうあるべきなのだろう? 芸術文化の発信者として明確な目的意識を持ち、長期的な視野に立ち活動を行っている劇場やホールは一体どのくらいあるのだろうか。 経済的な問題は大きいし、観客の嗜好もある。高邁な理想を掲げても、実際のところそれだけでは、経営として成り立っていかないのもまた事実ではある。そうした中でも、地方では地域文化の形成・発展のために意欲的に活動しているホールも少なくない。 1985年にオープンした青山劇場・青山円形劇場は、今、何を発信していくべきなのかを常に考え、ダンス、バレエ、ミュージカルと幅広い作品を上演し、日本の劇場文化をリードしてきた。子どものための施設である「こどもの城」の中の劇場ということもあり、『こどもの城ファミリーミュージカル』を毎年夏に上演し続けているのは、あまりにも有名だ。 青山円形劇場では、世界の振付家・ダンサーが一堂に集うコンテンポラリー・ダンスの祭典、ダンストリエンナーレトーキョーを開催。1991年には、バニョレ国際振付コンクールの日本プラットフォームも行われている。内外のカンパニーとダンサーが時代の空気を感じさせる斬新な作品を次々と上演する、日本におけるコンテンポラリー・ダンスの発信地でもある。子どもがダンスに触れる機会も提供し続けてきた。 一方バレエは青山劇場だ。1986年に始まった青山バレエフェスティバルは、「次代を担う若き舞踊手のために踊る場所を提供する」を趣旨とした、劇場の自主事業である。開始当時は、ちょうど国際コンクールで入賞する日本の若いダンサーが増え始めたころ。堀内元、熊川哲也、小嶋直也、久保紘一、岩田守弘、下村由理恵、斎藤友佳理、酒井はな、中村かおり、上野水香、服部有吉…、フェスティバルで踊ったダンサーの名前を挙げていけば、そうそうたる顔ぶれのリストができあがる。金森穣が振付家として本格的な日本デビューを飾ったのもこのフェスティバルだ。出演者の中には、若き日のアニエス・ルテステュ、フリーデマン・フォーゲルらの名前もある。ダンサーは舞台を踏むことで成長する。若いダンサーたちが成長する場を提供し、次代を担うダンサーを多数輩出してきた青山バレエフェスティバルは、2000年まで続いた。 2004年からはローザンヌ国際バレエコンクールの歴代受賞者を中心とした『ローザンヌ・ガラ』がスタート。海外で活躍するダンサーが日本で踊る場所ともなった。そもそもこの劇場とローザンヌコンクールの縁は切っても切れない。第19回ローザンヌ国際バレエコンクール東京開催がここで行われたのだから。 熊川、岩田、アダム・ クーパー、イーサン・スティーフェルらが出場したこの年、ゴールドメダルを受賞したのが熊川だった。 開場以来、日本の劇場文化の発展に大きく寄与してきた青山劇場・青山円形劇場は、2015年に閉鎖される。明確な理念を持ち、発信する意思を持った劇場が姿を消すことは、バレエ・ダンス界にとって大きな損失だ。劇場が姿を消しても、そのスピリットが受け継がれていくことを願っている。青山劇場・青山円形劇場30年の歴史に幕 〈第 4 回〉文:守山実花コラムもりやまみか/バレエ評論家。尚美学園大学非常勤講師。清泉女子大学生涯学習講座ほか、カルチャー講座でバレエ鑑賞講座を担当。「魅惑のドガ」監修・著 (世界文化社)「バレエDVDコレクション」監修・著(デアゴスティーニ・ジャパン)ほか。Proleこのコラムでは、バレエ・ダンス・ミュージカルなど、様々なジャンルのライターが隔月で登場。「舞台」をキーワードに様々な視点から語ります。243
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