eぶらあぼ 2014.12月号
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 ダンスやバレエが好きな方にぜひ観てもらいたい伝統芸能がある。ユネスコの世界無形文化遺産でもある人形浄瑠璃「文楽」だ。大の男が3人がかりで小さな人形1体を操作するという、独特の芸を目にした人は皆、精緻でダイナミックな動きに感嘆するだろう。しかも、文楽には“景事”という踊り中心の演目が存在し、日本舞踊家が振付を手がけることもあるのだ。たかが人形と侮るなかれ。その踊りは人間顔負けなのだから。 例えば『寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)』。神聖な能に由来する演目で、前半は翁が重々しく舞うが、後半は一転、2人の三番叟が、さながらバランシンの『タランテラ』のように元気よく踊る。しかも、2人のうち、バレエで言うなら『ドン・キホーテ』のサンチョ・パンサみたいな三枚目のほうが、途中で「ふう。疲れたぁ」と言わんばかりにサボり始め、きりっとした顔つきのもうひとりが連れ戻す…といった、コミカルなやり取りも。 あるいは『蝶の道行』。悲恋に終わった男女の霊が蝶となって踊り、やがて力尽きるまでを描く。可憐さと激しさ、人間らしさと蝶らしさのバランスという点で『瀕死の白鳥』に通じる世界だろう。また、叙情性という意味では、イリ・キリアンやナチョ・ドゥアトの作品をも彷彿とさせる。 歌舞伎で有名だがもともと文楽の作品である『義経千本桜』の中の「道行初音旅」では、静御前と、義経の臣下である忠信(実は狐)が、満開の桜の下で舞踊を繰り広げる。人形と人形遣いが一気に早替りを見せる趣向も。扇や鼓をもって優雅に舞う静と、ときに洒脱にときに凛々しく踊る忠信。その華麗さ・格調の高さは、グラン・パ・ド・ドゥにも引けを取らない。 なお、景事ではしばしば、上手側に太夫と三味線弾きがずらりと並んで語ったり弾いたりしていて、実にカッコイイ。 さて、面白いことに、文楽の人形遣い達は振りを覚える際、人形を持たず、ダンサーや俳優と同じように自分で動きながら稽古するという。人間の動きを踏まえるからこそ、驚くほどリアルな表現ができるのだ。その上で、人形にしかできないドラマティックな大技も繰り出す。ちょっとした動きのタメや拍の取り方でニュアンスが変わり、表現者それぞれの個性が作られるのは、ダンスと同じだ。3人で人形を動かすという不自然なことをしているのに違和感がないのは、名バレリーナのポワント使いと共通するかもしれない。 本番では、人形と人形遣いが一緒に踊っているかに見えることもあれば、人形遣いが見えなくなり、人形だけがそこにいるように錯覚する瞬間もあって、摩訶不思議。また、長年修業を積んだ人形遣いは、自分が人形を動かすのではなく、人形に動かされている心地になるとも聞く。こうした境地に辿り着いた芸を前にした観客は、ただただ息を飲み、その世界に引き込まれていくのだ。 今回は舞踊的な要素が強いものを例に挙げたが、文楽には壮大な歴史劇が展開する“時代物”や、庶民の日常における情愛や愚かさを描いた“世話物”があり、強面の武士、恐ろしい怪物、艶やかな遊女、可愛い町娘、水も滴る色男、慈愛に満ちた老夫婦など、あらゆるものが表現される。昨年は世界ボーカロイド大会に、ネギを持った文楽人形が登場し、初音ミクの〈メルト〉で踊って話題になった。コンテンポラリー・ダンスの振付家とのコラボレーションなども観てみたいものである。踊る・躍る! 「文楽」とダンス 〈第 3 回〉文:高橋彩子コラムたかはしあやこ/舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、ミュージカル、オペラなどを取材・執筆している。第10回日本ダンス評論賞第一席。年間観劇数250本以上。Proleこのコラムでは、バレエ・ダンス・ミュージカルなど、様々なジャンルのライターが隔月で登場。「舞台」をキーワードに様々な視点から語ります。276

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