eぶらあぼ 2014.11月号
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20 2011年3月11日、英国のBBCフィルと日本ツアーを行っていた佐渡裕は横浜で東日本大震災に遭った。「東北の人々のことを思うと、何も出来ない自分を本当に情けなく思った。食事を届けたり、医者のように人の命を助けたりするわけでもなく、指揮台で棒を持ってオーケストラに『速い』とか『遅い』とか指示を出している指揮者という仕事が本当にバカらしく思えてきました。その日からの5回の演奏会はキャンセルになりましたが、3日後に国際電話があり、日本人が数多く住むデュッセルドルフのオーケストラと隣町のケルン放送響との共同で日本のための演奏会をしたい、そこで『第九』を振ってくれないかと言われました。そのとき僕は譜面すら開く気がしなかったし、しかも《歓喜の歌》を指揮してくれと言われて、彼らは日本で何が起きているかわかっていない、と最初は思いました。でも、そういう時だからこそ、『第九』を日本に向けて佐渡の指揮で演奏して、ドイツ人と日本人との友情を日本の人々に伝えたいと言われ、僕の心が急に動き出し、やることとなりました。演奏会のときは、棒を振っていて、ありがたさや悲しみなどがこみ上げてきてとても複雑な感情になりましたね。そして音楽することこそが人が生きている証だと思いました」 この12月に、佐渡は、そのとき一緒に演奏したケルン放送交響楽団と共に東京と大阪でベートーヴェンの「第九」の演奏会をひらく。「震災のとき、自分のことのように心配し、深い祈りを捧げてくれたオーケストラを日本に招くのは本当にうれしい。ケルン放送響には毎年のように客演していますが、放送オケなので柔軟性があり、技術も高い。独唱者や合唱も含めて、最高の『第九』をお届けしたい」 佐渡は、「第九」の魅力についてこう語る。「第1,2、3楽章のそれぞれにテーマがありますが、それがすべて第4楽章に向かって書かれている」「第1楽章、冒頭は宇宙的にも東洋的にも感じられ、〈レとラ〉の第1主題は、宿命的な絶対的な厳しさ、試練に立ち向かう強さを感じます。第2楽章は躍動的でリズムを伴って遠い音どおし〈レとレ〉〈ラとラ〉にジャンプします。第1楽章が精神的とすれば、第2楽章は肉体的で、肉感的です。第3楽章は、第2楽章とはまったく逆で、一番近いところ、隣の音が連なる前奏で始まって、〈レとラ〉の主題に入ります。第2テーマも隣同士の音で出来ています。それは、直ぐそばにいる人を愛するラヴ・ソング。そして、第3楽章冒頭では愛を表わした隣どおしの“シ♭”と“ラ”の音が、第4楽章冒頭では同時に鳴らされることで、刺激的な対立の音となり、〈レとラ〉がファンファーレのように続く。〈レとラ〉は3楽章まで、厳しい試練、肉体的快楽、愛を奏でてきたけれども、これらだけでは真の歓びにはたどりつけない。『こんなものではない。もっと響き合った心地良いものを奏でよう』という人の声で歌われ、そこに現れるのが“ファ♯”から始まる『ファ♯ーソララソファ♯ミ』という歓喜のテーマの出だし。この“ファ♯”こそが〈レとラ〉の間を行ったり来たりして結びつける、“絆の音”なのです。“レ”はニ短調では死をニ長調では生命を表し、“ラ”は自然界の基準の倍音。その〈レとラ〉をつなぎ合わせて、人種や国、宗教を越えてこの世界で人が共に生きていくことを心地良く響かせてくれるのが“ファ♯”。 『第九』がここまで人をひきつける魅力ってなんなのだろうと考えると、もちろん音楽の魅力もありますが、演奏会が終わった時の達成感が凄いですね。この地球に生まれてよかったとか、世の中、暗いニュースばかりだけど、人間も捨てたものではないと思いますよ。戦争や対立は終わらないけれど、音楽の世界には『第九』がある。もしかしたら平和である理想の世界を唯一実現できるのは、音楽の世界かもしれないと思います」 佐渡裕は来年9月にオーストリアの名門、トーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督に就任する。「トーンキュンストラー管では、ハイドン、ベートーヴェン、ブラームス、マーラー、R.シュトラウスなど、ウィーンで活躍した作曲家の作品をメインに直球勝負したいと思います。とりあえず任期が3年なので暴れてみたい。1年に4ヵ月くらいウィーンに住むことになるでしょう。もともと、バーンスタインに師事するためウィーンに留学していたから、ウィーンには“戻る”という感じなのです」佐渡 裕Yutaka Sado/指揮歓喜のテーマにある“ファ♯”の音こそ“絆”だと思うのです構成・文:山田治生 写真:藤本史昭
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