eぶらあぼ 2014.10月号
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「私は来る2015年の終わりに踊ることを止めます」 シルヴィ・ギエムがダンサーを引退すると発表した。このニュースに接したとき、衝撃は受けなかった。ギエムはいつか近いうちに踊ることをやめるのではないか、そんな予感があったからだ。 一度だけ叶ったインタビューで彼女は言った。「ダンサーの人生は、普通の人のそれよりもずっとスピードが速い」。2005年のことだ。「幼いときから今やるべきことを明確に意識してきた」とも語っていた。この引退宣言は、ギエム自身がダンサーとしてやるべきことはすべてやり尽くし、これからやるべきことをしっかりと見据えた結果に他ならない。 ギエムはレパートリーを開拓していくダンサーだ。同じ作品をトレードマークのように踊り続けることをしない。ベジャール、フォーサイス、エック、マリファント、カーン…。仕事をする振付家は変わっていった。同一振付家の作品であっても、レパートリーは時代とともに変化した。今この瞬間踊るべき作品は何か、常に考え、過去は振り返らない。変化することを恐れない。 唯一例外といってもいい作品が、ベジャールの『ボレロ』だ。初めて東京バレエ団と踊ったのは1990年、“最後の『ボレロ』”と宣言したのが2005年。15年間踊り続け、確かに彼女の中でひとつの区切りがついたのだろう。だが、その後、封印が解かれたのは、ご存知のとおり。日本で踊るたびに彼女の『ボレロ』を観てきたが、ベジャール追悼公演は観ていない。“最後”と自ら宣言した作品を踊るということに違和感を覚えたからだ。今思えば、私は感傷的にすぎた。 2011年11月福島、いわき芸術文化交流館アリオスの『ボレロ』を観て、私は自分のこだわりが実にくだらないものだと知ることになる。それまでもギエムの『ボレロ』は、同じ作品でありながら、その時々で、まったく異なる表現で踊られてきた。ただ独り別次元を突っ走っていく孤高、柔らかい女性性、リズムのダンサーへの語りかけ…さまざまな『ボレロ』があった。彼女自身の“今”を映し出す鏡のような作品だと思ってはいた。だが、ギエムの『ボレロ』は舞台の上だけで一方的に完結するものではない。その時そこにいる観客と時空間を分かち合うことにより、生成される唯一無二、一回限りのものだった。その晩のギエムは、集まった観客に自らを差し出し、決然と進んでいくと同時に観客の一人ひとりに語りかけ、すべてを包み込む深く温かい慈愛で劇場を満たす光となった。 彼女の全身を通じて円環するエネルギーは、劇場空間へと広大な円を描きながら、観る者の意識の内側と共振する。踊るギエムの全身は常に協調しており、たとえ動いているのは一部であっても、身体のすべてに流れがあり、呼吸の中で心と身体の動きがひとつになっている。決して頭でコントロールしたダンスではない。アリオスの客席で、あの『ボレロ』を観ることができたのは決定的な体験だった。 彼女が特別なダンサーなのは、脚が高く上がるからでも、自己プロデュースに長けているからでもない。今、生きてここにいることへの幸せを感じさせるダンサーだからなのだ。シルヴィ・ギエムの引退宣言 〈第 2 回〉文:守山実花コラムもりやまみか/バレエ評論家。尚美学園大学非常勤講師。カルチャー講座、生涯学習講座でバレエ鑑賞講座を担当。「魅惑のドガ」監修・著 (世界文化社)「バレエDVDコレクション」監修・著(デアゴスティーニ・ジャパン)ほか。Proleこのコラムでは、バレエ・ダンス・ミュージカルなど、様々なジャンルのライターが隔月で登場。「舞台」をキーワードに様々な視点から語ります。312

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