eぶらあぼ2014.4月号
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横山幸雄は一体なぜ、この実に大変な演奏会に毎年取り組むのか。その答えはここにある。「ショパンの音楽はショパン自身の血の中に入っていたもの。だから、僕自身もその状態に近づけないとショパンのように弾くことはできません。ショパンの音楽が自分の血の中にどれだけ濃く流れているか。それを高めるためにこの企画を始めたわけですが、離れている時間が長いと、それが薄くなってしまう気がするのです。毎年継続することで、自分の血となり肉となっている実感があります」 とはいえ横山は、最新録音のシューマンをはじめ、ベートーヴェンやフランスものなど、さまざまなレパートリーで年間多くの演奏活動を行う。これだけの作品を手の内に入れるために、どんな努力をしているのだろうか。「極論を言えば、練習時間は少ないほどいいものです。なぜなら、練習をしているということは演奏が発展途上にあるということ。理想的でないものを自分の耳に長々聴かせるのは良くありません。ですから、頭の中で作品の構想がまとまっていないのにピアノに向かうのは、無意味どころか毒だというのが僕の考えです。もちろん、指に動きを覚え込ませ、また本番のどんな環境にも対応できる状態をつくるために一定量の練習は必要です」 作品に込められた精神世界は、練習や楽譜の研究からだけではわかりえない。最も重要なのは、常にひらめきを持てる自分でいることだと言う。「そのためには、自分の精神が常に良い状態でなくてはいけません。人生を楽しく過ごしている、だからこそいろいろな作曲家の精神状態に入っていくことができるわけです」 エキスパートの資格を持つワインの趣味、オーナーを務めるレストランの経営など、充実した活動のすべてが音楽の源となっている。そんな横山は今後、ピアニストとしてどんな姿を目指しているのか。「ひとつは、クラシック音楽界全体を盛り上げることに貢献したい。教育活動はもちろん、レストラン経営も、枠を広げてゆくための活動の一部です。もうひとつ演奏に関して言えば、自分を高め、信念を突き詰めてゆく、よりピアノが上手になれるようにがんばる、それだけですね」取材・文:高坂はる香 写真:武藤 章 今年もゴールデンウィークに横山幸雄のショパン全曲演奏会が行われる。ショパン生誕200年の2010年、1日で全166曲を弾く企画が初めて発表されたときには誰もが驚いたが、以来内容を変えながら回を重ね、今年5年目を迎えた。もはや、驚きよりは、次に何を聴かせてもらえるのかという期待感ばかりとなったから、人の慣れとは恐ろしい。当の横山にもすでに“挑む”という意識はなく、ショパンを血の中に取り入れる自然な営みとなっているようだ。 今年は2日間にわたり計21時間で、独奏曲211曲と協奏作品独奏バージョン6曲、全217曲が演奏される。作品数はこれまでで最多だ。「どうせなら始発で帰っていただける時間を終演として、1日でやろうかという意見もあったのですが、今回は2日間に分けようということになりました。もともと僕が長い演奏会をするようになったのは、一般的な2時間の演奏会では終盤でようやく緊張がほぐれるので、その良い状態で演奏を続けられないだろうかと思ったことからです。今回は各日10時間超ですから、その意味で長さとしては充分ありますし(笑)」 毎年演奏順にも趣向が凝らされているが、今回の第1部には「ショパン初期の出世作」である練習曲作品10と協奏曲第1番をまとめた。初日にはその他、「ポーランドの民謡の主題による幻想曲」、「クラコヴィアク」演奏会用ロンド、協奏曲第2番など、聴きどころとなる協奏的作品も次々登場する。どれもショパン自身によるピアノソロ版で、これらは近年ポーランドが国家事業として最新の研究をもとに編纂を進めた楽譜、ナショナル・エディションに基づいての演奏となる。「ピアノソロ版はオーケストラ版より先に書かれたと言われ、オーケストレーションをする前のスケッチのようなところがあります。ショパン自身、これを一つの目安としながら、そのつど即興的な演奏をしていたのだろうと思います。そもそもオーケストラ版は自筆譜が残っていないので、本当にショパン自身が書いたものかわからないとも言われています。ショパンだったらこの状況ならこう弾くのではないか、そうやってさまざまな事柄を考え、即興的要素を交えつつ演奏するつもりです。…こういう場面で、僕自身がショパンだったらどんなにいいか、と常に思うわけです」僕自身がショパンであったらどんなにいいかと常に思いますね48インタビュー
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