eぶらあぼ 2013.11月号
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25“指揮者のいない世界最高峰のオーケストラ”との共演に期待! 辻井伸行が世界に羽ばたく足掛かりとなった、2009年のヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール優勝。去る2月、辻井は思い出の開催地テキサスを訪れ、他界する数週間前のクライバーンと会うことができた。「闘病中ではありましたが、お会いした時はお元気そうでした。その時に言われた、『クラシック音楽に興味がなかった人も聴きに来るような、魅力あるピアニストになってほしい』という言葉がとても印象に残っています」 コンクール副賞の世界ツアーというチャンスも着実にものにして、飛躍の一途をたどっている。昨シーズンは、先にアルバムもリリースしたドビュッシーによるリサイタルで国内外をまわった。アシュケナージやゲルギエフといった名指揮者との共演も重ね、最近はBBCプロムスに協奏曲のソリストとしてデビューしたばかりだ。ロイヤル・アルバート・ホールで演奏し、「7000人の拍手を浴びたのは初めてのことで、すごく興奮した」と嬉しそうに語る。 そんな辻井が今回共演するのは、“指揮者のいない世界最高峰のオーケストラ”として知られるオルフェウス室内管弦楽団。リーダーシップを固定させず、全奏者の自発性を引き出すことで優れた音楽を生む“成功例”は、ハーバード大学や名門企業からの研究対象にもなっている。辻井は次シーズンのソリストの1人に抜擢され、モーツァルトの「戴冠式」と、ベートーヴェンの「皇帝」を演奏する。「3月にニューヨークでメンバーの方々とお話をする機会がありました。彼らは、綿密なリハーサルを重ねながら曲の解釈を互いに伝え、より良い音楽を創ろうとするオーケストラです。僕が、言葉よりも音楽を通して伝えるほうが得意なのだと言うと、『そういうソリストも2、3日経つとどんどん意見を言うようになるから大丈夫です』と言われて(笑)。お互いを聴き合い、直接オーケストラの方々と意見を交わし、音楽が変わっていくのは刺激的な経験になると思います」 辻井のクリアな音色で聴くモーツァルトは格別だ。今回はこれまでにも演奏経験がある「戴冠式」でそれを聴くことができる。カデンツァや楽譜に書かれていない部分は、「特別なオーケストラなので、響きを聴いてからどう弾くか考えるつもり」だというから、これまでとは一味違った演奏になるかもしれない。 一方のベートーヴェンにも思い入れが強い。「ベートーヴェンは難聴という苦労を乗り越えてすばらしい作品を遺した人です。自分と重なる部分を感じるので、生涯取り組んでいきたい作曲家です。ソナタの全曲演奏もいつか実現したいですね」 日本ツアー前のアメリカツアーでは、楽団の本拠地であるカーネギーホール公演もある。2011年のリサイタル以来の再訪だ。当時、巨匠たちと名を連ねてホール主催公演に出演したことは大きな自信になったと振り返る。「お客さまがとても喜んでくださって、演奏会の最後には、これまでのいろいろなことを思い出して涙が止まりませんでした」 近頃の辻井は、映画音楽の作曲や、異ジャンルとのコラボレーションでも注目を集める。「『それでも、生きてゆく』(辻井作曲による東日本大震災に想いを寄せた歌曲)でEXILEのATSUSHIさんと共演しましたが、ジャンルは違っても同じ音楽家として通じるものを感じました。クラシック以外のアーティストと知り合うことは、とても刺激になります。音楽家の人生は一生勉強ですから、これからも学び続けたいです」 言葉の端々に、4年前のコンクール直後から一段と成長した様子がうかがえる。クラシック・ファン以外にも音楽の素晴らしさを伝える活動で、クライバーンの遺志に自然と応えることになっているのも感慨深い。 忙しい生活の中、時間を見つけては自然の中に身を置くことを楽しんでいるという。「この間はコンサートの後、近くの川に釣りに行きました。海外の演奏旅行の合間には乗馬もしました。小さい頃から母がいろいろな経験をさせてくれましたから、何にでも挑戦しますし、あまり怖がりません。一緒にいるマネージャーのほうが怖がっているくらいです(笑)」 これからの夢を尋ねると、こんな答えが返ってきた。「音楽面ではレパートリーを増やし、世界を目指すこと。それ以外では、早く優しい彼女ができたらいいなと思っているんですけどね…」 そして相変わらずの朗らかな笑顔! 天性のピュアな音楽性と豊かな経験が相まって、今後彼の音楽はどのように成熟していくのか。ますます楽しみだ。取材・文:高坂はる香 写真:青柳 聡

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