eぶらあぼ 2013.10月号
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35リゲティの真髄に触れる絶好の機会 美しい秋の京都を彩る《京都の秋 音楽祭》は今年で17回目の開催。昨年4本の腕でストラヴィンスキーの三大バレエを聴かせた2人のピアニスト、小坂圭太と中川賢一が、今年はリゲティ・プログラムを携えて登場する。存命なら今年90歳になるリゲティは、2001年に京都賞を受賞した、京都ともゆかりのある作曲家。「ちょうど去年、京都コンサートホールで行った“みるハルサイ”の2台ピアノを京都の担当者の方がとても気に入ってくださり、今回も是非2人の2台ピアノをプログラムにいれたいという強い想いがあったそうです。そんな流れもあり、プログラミングも含めてコミットさせてもらいました」(中川) 曲目は「ピアノのためのエチュード」からの4曲、「2台ピアノのための3つの小品」全曲、オペラ《ル・グラン・マカーブル》の〈ゲポポのアリア〉(ソプラノ:森川栄子)のリゲティ作品に加え、2台ピアノのための、ライヒ「ピアノ・フェイズ」とバルトーク「ミクロコスモス」からの7つの小品だ。「リゲティの作曲スタイルは創作年代によって変遷しますが、やはり最終的にさまざまな技法が混じって、彼らしさが一番フォーカスされてきた時代、1980年代の『エチュード』を、僕と小坂さんが2曲ずつ。2台ピアノ作品は最初から演奏すると決めていて、コンロン・ナンカロウが自動ピアノで書いたような、厳密で複雑なポリリズムで人間の限界に迫る『2台ピアノのための3つの小品』、そして主催者からのリクエストで〈ゲポポのアリア〉です。さらに、リゲティが影響を受けた、バルトークとライヒを演奏します。ライヒは、リゲティの『2台ピアノのための3つの小品』の第2楽章が〈ライヒとライリーのいる肖像。そしてショパンも〉という表題を持っているので、それと対峙する意味もあります」(中川) コンサートの開場時には、一般から提供者を募って借りたメトロノーム100台による「ポエム・サンフォニック」(リゲティ)も“演奏”する。バラバラにテンポ設定して、同じだけゼンマイを巻いた100台のメトロノームを一斉に始動させると、徐々に停止していき、最後に1台だけが残る。その過程でパルスはさまざまな聴こえ方をする。「リハーサルをするうちに、最後まで残ってほしい、思い入れのあるメトロノームが出てきて、ひょっとしたら少し多めにゼンマイを巻いたりするかもしれません(笑)」(小坂)「でも恣意的に動く人がいるということ自体が偶然だから、リゲティはその辺の偶然性は考えているんじゃないですかね」(中川) リゲティは、現代音楽の中で、どんな位置付けの作曲家なのだろうか。「ピアノに関して言えば、リストまでさかのぼって考えられると思うのですが、リストが直観的にやったことを、人間の感性としては極限までデジタルなものに置き換えて、拡大して歪ませている。リストとかブゾーニとかの譜面を見た時に身体が感じるこわばりみたいなものを、身体感覚として受け止めて、さまざまに変容させながらピアニストに強いていることに、すごくワクワクします。しかも、20世紀後半に、内部奏法とかプリペアドとか、そういうことなしに、生のピアノの本質に迫りながらこれだけのものを書いたのはすごいことです」(小坂)「ワールド・ミュージックや民俗音楽を聴く感覚で聴いてもらってもいいと思います。同じフン族なので(笑)、血が通うメロディが隠れている。隠れているというのが重要で、露骨にやるなら、極端にいえば演歌のほうがいいんです。知的に書かれた、でもちょっと演歌的な感じをサブリミナル的に感じることができると思います。あとは、延々とトランス的なところがあるので、ロックが好きならそういう感じで聴いてもらえればいい。また、彼はビル・エヴァンスが大好きだったので、ジャズの感覚もありますね」(中川) 会場は京都コンサートホールの小ホール「アンサンブルホールムラタ」。「ものすごく響きがいい。リゲティは最後までかなりアコースティックにこだわった人なので、うってつけですね。宇宙船みたいな面白い装飾なのですが、それが新しい感覚を呼び起こすのを手伝ってくれます。会場の持っているそういう感覚は、演奏者にも大切なんですよ」(中川) リゲティの名を知らない人は少数派だろうが、その作品を生で聴くことは意外に少ない。知的にも技術的にも、作曲家を深く理解する2人の名手による貴重な機会を逃さぬように。 取材・文:宮本 明 写真:武藤 章
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