eぶらあぼ 2013.9月号
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No.20 歌姫と焼き肉スカルピア:私は欲しいのだ。欲したものを追い求め、満腹になり、それを放り捨て新たな食物へと向かう神は様々な美とワインを造り賜うた私は可能な限り神の創造物を味わいたいのだ!ジャコモ・プッチーニ《トスカ》より 先日、長野県上田市にある信州国際音楽村の野外ホールにおいて、プッチーニ作曲《トスカ》を上演した。今回のオーケストラはエレクトーン1台。電子オルガン奏者の清水のりこ氏が、見事なアレンジと演奏で公演を成功に導いてくれた。 さて使用楽器の関係上、稽古は主に東京・渋谷にあるヤマハ・エレクトーンシティで行われた。そして東京での稽古最終日、全員で食事をしようということになった。店選びは歌姫トスカ様に一任していざ出発。坂を上がり続けると、そこはいつしか歓楽街の真っ只中。ラヴェンダーやカモミールなど扱わないであろうハーブ屋を横目に見つつ、周囲の雰囲気にいささか気圧されながらお目当ての店に入る。歌手は本番前になぜかスタミナ対策と称して肉類の摂取に勤しむのだが、この日のお店も「ヤキニク ホルモン どうげん」という名の焼肉屋。道玄坂にちなんでのネーミングなのかなあ、とあれこれ考えながら上着の類いを半透明ゴミ袋にガサガサと入れ、ビールケースに座布団を敷いた席に座る。見ればテーブルもビールケース+板の簡易式。基本的に店の大将おまかせのメニューを片っ端から喰らうこととした。 お通しにはキャベツの千切り。味付けのベースとなるごま油の香りが鼻腔へと抜けると、粘膜と食欲が刺激され、箸の進みもアッチェレランド。「オカンのキムチ」盛り合わせ(白菜、キュウリ、大根)は辛みも程よく、複雑な味わいが舌上で絶妙なハーモニーを奏でる。期待値が最大となったところでいよいよ肉の登場。ステンレス製のバットに横たわるそれは、なんと全てこだわりの黒毛和牛。「シャブ焼き」と命名された薄切りの霜降り肉をサッと炙って口中に放り込むと、まるで太陽の光を浴びた淡雪の如く溶け去ってゆくではないか。絶品である。肉の脂の旨味をこれほどまでに堪能したことがあるだろうか。興奮した歌い手たちの雄叫びに店の備品が共振で揺れる中、オススメの肉が次々と運ばれてくる。繊維までとことん柔らかい「ミカヅキ」、旨味が凝縮したあばら骨間の「ゲタ」などなど。全て1品500円程度という驚異のコストパフォーマンスを誇る牛ホルモン系も次々と胃袋へ消えてゆく。どれもプリプリとした食感を残しつつもキチンと噛み切れるあたりが好印象。締めには「ザ・麺」なる一品を食す。博多ラーメンの様な細麺を前述のキャベツ同様ごま油ベースで味付けしている。見た目はただのゆで麺。しかし口に入れると香り、歯ごたえ、風味の波状攻撃に悶絶する。大満足である。 こうして本番に向けての焼き肉決起集会を無事に終え、帰路についた一行であったが、店外で撮影した集合写真が、とあるホテル入り口を背景としていたため、それを見た友人たちからさんざん揶揄されたことを付記しておく。スキャンダルってこうして作られるのね……。千葉大学卒業。同学大学院修了。東京芸術大学声楽科卒業。1999年よりイタリア国内外劇場でのオペラ、演奏会に出演。放送大学、学習院生涯学習センター講師。在日本フェッラーラ・ルネサンス文化大使。バル・ダンツァ文化協会創設会員。日本演奏連盟、二期会会員。「まいにちイタリア語」(NHK出版)、「教育音楽」(音楽之友社)に連載中。著作「イタリア貴族養成講座」(集英社)、CD「イタリア古典歌曲」(キングインターナショナル)「シレーヌたちのハーモニー」(Tactus)平成24年度(第63回)芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。193
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